元KADOKAWA会長の角川歴彦氏が6月27日、東京五輪を巡る汚職疑惑で逮捕され、226日間拘束された経験から「人質司法」が問題だとして、国に対する民事訴訟を起こすことがわかった。
その角川氏は、突然の逮捕に至る過程や、東京地検特捜部による取り調べ、小菅の拘置所での生活などについて月刊『文藝春秋』に綴っていた。
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「ようやく死地を脱した」
4月27日、午後9時20分頃のことだった。
「出るんだ」
東京・小菅にある東京拘置所の独居房で寝ていると、見知らぬ看守数人にいきなり叩き起こされた。
状況が理解できず、「出るんだって言ったって、どうするの」と、非常に幼稚な言葉を吐いたのを覚えている。保釈請求が通ったのかもしれない。薄々そう感じていたが、喜びはまだ湧いてこない。いつもの様に看守は命じるだけで、必要最低限の情報すらも与えない。それが拘置所の基本姿勢だ。
私は3年前、心臓の手術をしている。不整脈、心房細動などの持病を抱えており、一日に十数錠も薬を飲まなければならない身だった。拘置所内で倒れたこともあり、車椅子に乗せられていた。この頃は、部屋の布団の上げ下げはもちろん、着替えをすることすら辛くなっていた。
私がゆっくりと着替え始めると2、3人の看守が部屋に入ってくる。隅に山積みになっていた差し入れの本と服などの私物を手際よく段ボールに詰めていく。時間にして約10分。部屋は奇麗に片づけられた。
拘置所内には、幾重にも鍵がかけられている。接見室に行く時も、先導する看守がその都度、鍵を開ける必要がある。この日も看守がひとつずつ鍵を開けるのを眺めながら、車椅子を押され、玄関手前の守衛室まで辿り着いた。
最後の鍵が回り、ドアが開く。2人の弁護士の姿が見えた。その1人が村山浩昭弁護士だ。かつて静岡地裁の裁判長として、袴田巌さんの事件を担当。2014年、物証が捏造された可能性が高いと指摘し、再審開始と袴田さん釈放の決定を出したことで知られる。もう1人は藤原大輔弁護士。保釈請求書の起案に尽力してくれた気鋭の若手だ。
ようやく保釈を確信したが、緊張感は解けず、言葉を発することはできなかった。万歳なんてする気にもなれない。そんな私に村山弁護士はこう助言した。
「車椅子を押しますから、角川さんは姿勢を正しくしてください。卑下して頭を下げるようなことはせず、かといって傲慢な態度でもない。真っすぐ正面を向いていてください」
外に出ると、何社ものメディアのライトに照らされる。真昼のような明るさで、まともに前を見ることが出来ない。遠慮を知らぬカメラのシャッター音が、静かな夜の拘置所の外に鳴り響く。
しばらく進むと、「会長、お帰りなさい!」という声が聞こえた。KADOKAWA時代の仲間だった。思わず嬉しくなり、声の方向を向いて小さく頷く。勾留されてから実に226日。ようやく死地を脱したと、実感した瞬間だった。