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娑婆に出てきた喜び

 弁護士が用意したハイヤーに乗り込み、車に揺られること約30分。自宅に報道陣が詰めかけるのを防ぐため、早稲田のリーガロイヤルホテル東京に向かう。早稲田大学出身の私には、懐かしい場所でもある。

 久しぶりの清潔な部屋だった。風呂も広い。だが体重が十数キロも落ち、体力に自信が持てなくなっていた。転倒の恐れがあるので湯船には浸からず、シャワーで済ませると、早々にベッドに身体を横たえた。

 朝食はルームサービスで、アメリカンブレックファストを注文した。ご飯とみそ汁の和食だと拘置所の食事を思い出してしまう気がしたからだ。卵はオムレツでもスクランブルエッグでもなく、ゆで卵。これにも理由がある。

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狭い拘置所の独居房 ©時事通信社

 実は拘置所では卵が1個、丸ごと出てくることがない。殻の付いた卵の形を見ることで、娑婆に出てきた喜びを痛感したのだった。

 〈角川書店(現・KADOKAWA)の創業者・角川源義氏の次男、角川歴彦氏(80)。『ザテレビジョン』『東京ウォーカー』などの創刊に携わり、1993年、社長に就任した。2017年には会長となっている。

 事件は13年、東京五輪の開催決定から始まる。同社は大会スポンサーを目指し、東京五輪大会組織委員会理事の高橋治之氏の知人・深見和政氏に相談。深見氏の会社とコンサルタント契約を結んだ。発議したのは芳原世幸専務で、経営会議で決裁をしたのは、松原真樹社長(いずれも当時)だった。角川氏はその後、報告を受けた。そして19年、大会組織委とスポンサー契約を結び、公式ガイドブックなどを発売した。

 大会翌年の22年、東京地検特捜部は同社がスポンサー契約を結ぶにあたり、深見氏の会社を通して高橋氏に賄賂を支払ったと見て、角川氏と担当者に任意で事情聴取を行った。9月3日に読売新聞が第一報を伝え、5日、角川氏はメディアの代表取材に応じ、賄賂という認識は「まったくない」「部下の社員に不正は無かったと信じている」などと答えた。すると翌日、特捜部は受託収賄容疑で高橋氏と深見氏、贈賄容疑でKADOKAWAの担当者2人を逮捕(高橋氏は再逮捕)。14日、角川氏も逮捕した。

 特捜部の聴取に角川氏は一貫して部下との共謀や賄賂の趣旨を否認するも、10月4日に起訴された。保釈請求は検察の意見書で再三にわたり裁判所が却下。認められたのは、7カ月以上経った23年4月末だった。〉

 初めに断っておきたい。

 この手記は、無罪を訴えるためのものではない。もちろん自らの無罪を信じている。だがそれは、これから行われる法廷の場で争うべきものである。

 今回、保釈中の身でありながら筆を執ったのは、「人質司法」という問題を、自らの経験から指摘したいと考えたからだ。

 昨年9月、東京地検特捜部に逮捕されて以降、身柄を拘束された期間は、通算で226日間に及んだ。保釈請求がなかなか通らなかった理由は、「逃亡や証拠隠滅の可能性がある」ということだった。

 私は高齢で持病もある。顔も知られている。現実的に逃亡することが有り得るだろうか。また私が会社の関係者に働きかける可能性があるとするならば、保釈条件にそれを禁ずる旨を記載すればいいだけの話だ。

 ではなぜ保釈が認められなかったのかというと、その背景には、一貫して容疑を全面的に否認したことがあると私は見ている。

 おそらく、多くの方が、東京五輪のスポンサー契約を私がトップダウンで決めたと誤解されているだろうが、そんなことは無い。そもそも私にはスポンサーになるという発想は無かった。東京五輪への思い入れも、特にあるわけではない。

 発端は14年、電通側からスポンサーにならないかとKADOKAWAに話が持ち込まれたことだった。そこで社内が沸き立ち、ECC(エンターテインメント・コンテンツクリエイション)事業統括本部が窓口として動くことになった。

 確かにKADOKAWAは幾つもの情報誌を発行してきた実績がある。公式パンフレットを請け負ってもいいとは思ったが、何が何でもやるべきだという事業ではない。

KADOKAWAが出した東京五輪の公式ガイドブック

 激しく社会が変化する現代。既存事業はすぐ陳腐化し、常に新規事業を開拓しなければならない。それがあらゆる企業の宿命だ。公式パンフレットは、会社の収益に大きく貢献する新規事業と言えるようなものではなかった。もちろん私が陣頭指揮を執るような事業でもない。それゆえECC担当者から意見を求められた際、「スポーツマーケティングを事業化するのもいいが、投資できるのは5億円が限度だ」と言った。

 実はそれまで私は、ECCの会議に呼ばれたことなどなかった。だがこの時だけは意見を求められたのだ。恐らく、私を巻き込む形で、意思決定をしたかったのだと思う。