こうした微妙な関係の中で、協力隊と地域住民とのコミュニケーションが不足すると、双方のネガティブな印象はますます強くなり、限界に達した移住者側が地域への不満をSNSで広く拡散してしまう、という事態に発展します。
ではなぜ、地域側からトラブルについて発せられることが少ないのか。常に地域側に過失があるわけではなく、簡単に言えば、発信するスキルを持っているかどうか、または気持ちが追い詰められているかどうか、といった差ではないでしょうか。外から移住し、“地域協力活動”が自らの収入を支えている協力隊は、周辺に親身になって相談に乗ってくれる“味方”が当然少なく、地域側のネガティブな発言を非常に重く受け止めてしまい、気持ちが追い込まれやすい立場でもあるのです。
一方で「協力隊は公共事業」と先に書きましたが、「公共事業」というのは文字通り公益性を目的とした事業であるため、協力隊の取り組みにも常に公益性とのつながりを説明する必要が生じます。そのため、公益性に対して強く意識することが求められるのですが、協力隊の募集要項や担当職員の認識の中にそれが十分示されているかというと、なかなかそうはなっていない現実があります。だからこそ、着任する協力隊がさほど公益性を重視しなくなってしまう、という悪循環が起きている側面もあるのです。
もちろん、「地域おこし協力隊」によって、地域が活力を取り戻し“おきる”ことができたケースもたくさんあります。ただそればかりではなく、さまざまな軋轢を“おこして”しまったことも事実です。「地域おこし協力隊」という制度は、これまで何もなかった地域によい面、悪い面を含めてさまざまな変化を“おこして”きたと言えるでしょう。
自治体にとって自由度が高い協力隊の制度
私はこの制度が始まった当初から総務省を始めとした関係機関と意見交換し、協力隊員向けの研修プログラムの企画や実施などをしています。制度の発足当初から見てきているだけに、協力隊の活躍を頼もしく感じたり、炎上してしまった事例については歯がゆく思ったりしていました。
ここまで、炎上の実例から問題点を述べてきましたが、地域おこし協力隊は基本的には素晴らしい制度だと私は考えています。というのも、以前から政府による地域施策は“紐付き補助金”と言われ、かなり限定的な使い方しかできませんでした。それぞれの地域が自分たちのやりたいことに補助金を使えるよう、自分たちの取り組みを政府の補助メニュー側に寄せることでなんとか支援を受けてきました。そのため、ただでさえ人員や資源が限られている地域では効率的にものごとを進めることが大切にもかかわらず、資金を得るためには不要な活動までせざるを得ない、というのが実情でした。
その点、地域おこし協力隊は導入する自治体にとって非常に自由度の高い制度と言えるでしょう。制限といえば、都市地域から過疎地域への移住(住民票の移動)と、任期最大3年であることくらいで、あとの裁量権は導入する自治体に任されています。「地域おこし」の部分である「地域協力活動」の中身についても、それぞれの地域の実態に合わせて決めていい。つまり、それぞれの地域が自分たちに必要な人材を導入する際に制度上の縛りがほとんどないのです。
地域に根を下ろし、地域のことを真剣に考えている人びとが、それぞれ「どうしたら地域がよくなるか」を考えて使える制度。地域をよりよいものにできる大きな可能性を秘めています。また制度自体もどんどん時代に合わせて変化し続けています。