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 小林はもともと韓国ロッテで例外的な日本人幹部だったが、2013年にロッテホールディングスの取締役に転じていた。この頃から韓国サイドによる権力奪取が準備されていたのかもしれない。その障害となるのは宏之の存在だった。

もとは佃の更迭を進言していた昭夫

 じつのところ、もともと昭夫は外部から入ってきた佃のことをよく思っていなかった。2013年1月、昭夫は父・武雄に手書きのメモを渡している。そこでは佃に対する批判が長々と書き連ねられていた。

「ヴェデル社の業績悪化について、佃社長は『前任者のポーランド人社長が無能なので、こうなってしまった』と言っていますが、そもそもその社長を任命した佃社長に責任は無いのでしょうか?……私と色々な話をしている時でも、今だに『私は菓子はしろうとで良く分かりません』と言う発言をされます。ロッテに来てから4年近くなるのに『しろうと』では勉強不足と言わざるを得ません。……いつ迄も現在のままの体制で大丈夫なのか、心配です」

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 ここで出たヴェデル社とはロッテホールディングスが3年前に買収していた欧州の製菓会社で、業績は芳しくなかった。昭夫はそのことをやり玉に挙げ、佃の更迭を暗に進言したのである。

 が、その後一転して昭夫は佃と固く手を結ぶこととなる。

ロッテグループの創業者・重光武雄 ©時事通信社

すでに最終確認されていた宏之の辞任要請

 佃と小林が韓国ソウルに出向いて、宏之の事業失敗を武雄に報告したのは2014年10月29日が最初で、その場で武雄は「宏之をくびにしろ」と発言したとされる。発言の真意や真偽はともかく、どうやらその頃から宏之排除の動きは本格化した。翌月、翌々月も佃と小林は武雄のもとを訪れ、宏之の件を話し合っている。

 12月19日、昭夫、佃、小林をはじめ、宏之を除くロッテホールディングスの役員全員は武雄のもとで会議を開き、そこで辞任要請が最終確認されたとされる。先述したように、3日後の取締役会でそれは宏之本人に伝えられた。宏之が強く反発したことも触れたとおりだ。

 12月24日、佃は冒頭で紹介したハツ子(武雄の2番目の妻)にこんなメモを手渡している。

「総合的に判断してロッテのために総括会長(=武雄)が解任をご決断されたと理解しております。……(3)総括会長のお許しが前提になりますが、今後の経済的な配慮は考えたいと思いますし、経営に関わらない名誉あるポストも用意したいと考えています。(4)御奥様から宏之副会長に辞任をいただけますよう、お話いただければ幸いに存じます」

 宏之に対する包囲網づくりというわけだが、事態収拾に功を奏することもなく、結局、辞任要請は解任という強硬手段へと突き進むこととなった。