日本が誇る大企業を築き上げた「創業社長」には、どこか共通するカリスマ性がある。しかし、創業社長のカリスマ性が大きければ大きいほど、その去り際、そして去ったあとには、経営権を巡って内紛が起きる。

 日本と韓国にまたがる異形の財閥、ロッテグループも“お家騒動”を経験した企業のひとつだ。創業者の重光武雄は、長男・宏之に事業承継を行う予定だったが、失敗。二男の昭夫が、創業者の父と兄を放逐してロッテグループの経営権を奪取した。

 ロッテグループでは、経営権を巡ってどんな内紛が起きていたのか。ここでは、高橋篤史氏の著書『亀裂 創業家の悲劇』(講談社)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く

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写真はイメージです ©mapo/イメージマート

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宏之解任の不当性を受け入れた武雄

 昭夫側は副会長職から解任しさえすれば宏之がそのまま引き下がると考えたのかもしれない。しかし、そうはならなかった。その後、宏之は巻き返しのため武雄との面会の場を模索した。それが実現したのは解任劇から半年近くが経った翌2015年5月頃である。やがて武雄は解任の不当性を訴える宏之を受け入れていった。

 7月3日、武雄はロッテホテル34階に佃孝之(つくだたかゆき。2009年7月、武雄の後任でロッテグループの社長に就任)と小林正元(こばやしまさもと、昭夫の腹心の部下でロッテグループの取締役)を呼び出した。武雄の実弟で日本において会社を営む重光宣浩(のぶひろ)、ロッテショッピングなど韓国ロッテ各社の役員に取り立てられていた長女の辛英子も同席した。そして、宏之もその場にいた。この日のやりとりは録音データに残されている。

「これ、どういうこと? これ?」

 冒頭から武雄は佃を難じ始めた。宏之解任後、佃は日本ロッテ主要各社の社長を数多く兼務しており、それを問題視したのだ。

 すると、そこにすかさず割って入ったのは小林だった。

「違います! 会長さん、お待ちください。お待ちください!」

「お前は何だ?」と武雄が訊くと、なおも小林は大きな声を上げた。

「彼、何ですか? 彼は誰ですか?」

 小林は目の前の宏之を挑発するかのようになぜかそう叫んだ。

「出て行け!」

 武雄と宏之からそう続けざまに言われても小林は「なぜでしょうか?」などと言って食い下がった。同じようなやりとりが何度か繰り返され、ようやく小林は退室していった。