研ぎ澄まされた機知と諧謔味にあふれた、痛快なポルノグラフィーの一級品である。ことさらな濡れ場など皆無なのだが、もっぱら官能小説を書いてきた私も、本作の滋味を存分に堪能した。創意に満ちたプロットと、趣向に富むエピソードの数々と、巧妙に企まれた構成によって展開されるのは、豊潤でサスペンスフルで、毒気も含んだ挑発的な物語なのである。
語り手は子爵の家の次男、二年後に徴兵検査を控えている学生の二朗で、話は彼のモノローグを介して進む。
一件は太平洋戦争開戦の前日に当たる日の日暮れ近くにはじまり、開戦当日の夕刻に終る。その間に二朗は、いかにもいかがわしい風情の、しかし圧倒的な存在感をそなえる妖艶な伯爵夫人と行動を共にし、ひょんなことから情交を伴わないままの前後三回の射精に至るなりゆきを迎える。
その一方で二朗は、伯爵夫人が語る彼女の波瀾に満ちたミステリアスな半生の来し方を聴くのだが、胡散(うさん)臭さのつきまとうその話の真偽の程はつかみようがない。さらに二朗は、伯爵夫人の手配で奇態な場所に案内され、当人自身もこれは夢かと疑うような非現実的な性的出来事に遭遇したりもする。
伯爵夫人は情交は「男女の儀礼」だと主張し、自分のものを「熟れたまんこ」と自称、その値打ちを認める男根は「尊いもの」と呼び、きわどい科白や振舞いで二朗の童貞をひたひたと危機に追いやろうとして憚(はばか)らない。ポルノグラフィーのヒロインとしての役回りを申し分なく型どおりに演じる。しかもその背後には国際的な諜報機関とのつながりも影のようにちらつく人物像だから、物語全体の堂々としたまことしやかな構えはさらに怪しさを増す。それがなんとも愉しい。
型どおりといえば、乙女の身である二朗の従妹も、彼の身のまわりの世話をする小間使いの女たちも、この物語にふさわしいあっけらかんとした好色な言動に及んで見せる。そして何よりも、二朗の饒舌な語り口と伯爵夫人のことばつきが、一種の紋切型の語調にしつらえられているところが、現実味の曖昧なこの物語の空気感を保つ上で大きな力となっているように思える。それもまたポルノグラフィーに必須のものであろう。
二朗の語りはさりげない滑稽味をふりまきながら、あちらこちらに寄り道しつつ進むのだが、あることばと小道具のリフレインのような登場によって、全体は味わい深く収束していく。そのあたりの按配も、読む側の愉しさにコクを与えてくれるものになっている。いやあ面白かった。
はすみしげひこ/1936年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学文学部仏文学科卒。教養学部教授、同学部長、東大副学長、同総長と歴任。77年『反=日本語論』で読売文学賞。以降著書多数。2016年、小説『伯爵夫人』で三島由紀夫賞を受賞した。
かつめあずさ/1932年生まれ。74年「寝台の方舟」で小説現代新人賞。長く官能小説の大家として活躍。新刊『異端者』2016年8月29日発売予定。