僕が教授と初めて会ったのは、日比谷の野音
――今年で幸宏さんは、ソロ・デビュー40周年、YMOも40周年を迎えます。幸宏さんがのんさんの年頃は?
高橋 のんちゃんの歳の頃は、サディスティックスっていうフュージョン系のバンドにいたの。サディスティック・ミカ・バンドからトノバンとミカがいなくなって結成されたバンドだったんだけど、それが辛くてね(笑)。そんな時に細野(晴臣)さんに声をかけてもらってYMOになるんです。
のん そこで運命が変わったんですか?
高橋 そう。細野さんとは高校時代からの知り合いだったんだけど、細野さんはエイプリル・フール〜はっぴいえんど〜ティン・パン・アレー、僕はミカ・バンドと、お互いを端で見ていた時期があって、YMOでようやく一緒になった。
のん 坂本龍一さんとの出会いは?
高橋 僕が教授と初めて会ったのは日比谷の野音。色んなバンドが出るコンサートで、教授は山下達郎さんのバックでキーボードを弾いてたんです。初対面はギロッと睨まれて恐くてね。
のん えっ? 坂本さん、恐かったんですか?
高橋 その時、僕はKENZOのセットアップを着ていて、「こんなやつにロックができるのか!?」って思ったんだって(笑)。
のん へえー!
高橋 だって、その頃の教授、裾が切りっぱなしのベルボトムのジーンズにゴム草履ですよ(笑)。
のん その姿は信じられないですね。
高橋 その後、すぐ仲良くなったんだけどね。そしたら「幸宏、僕のコーディネートしてくれる?」って頼んできた(笑)。
のん わーっ、スタイリストさんまで! さすがですね。
高橋 ファッションやおしゃれも自己表現だからね。のんちゃんがモデルになりたいと思ったのもそういう興味からだろうし、ファッションが何かの表現のきっかけになるというのは今もあるんじゃないかな。
(#3に続きます)
写真=榎本麻美/文藝春秋