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 ミステリーは謎の小説である。謎自体の新奇性を競うという行き方もあるが、それがいかに明らかになっていくか、という語りの芸に秀でているのが伊岡瞬という書き手だ。文春文庫に収録された『祈り』を読んだとき、これはもうミステリーという形式を使わずとも登場人物の表情を逐一書いていくだけで成立する作品だ、と最初に思った。いや、それをミステリーという謎の物語として書いてくれていることに価値があるのだ、と再読して認識した。何通りも読み方があるのも特徴で、本作は苛烈な人生を描くミステリーであると同時に、心の中に温かいものを灯してくれる青春小説でもあるのだ。

 天文観測がすべての文脈を束ねる要素として使われていて、第1部のタイトル「十万光年の花火」は星の光が遥かな距離を通って伝わってきていることを指している。満天の星々は、なすすべもなく立ち尽くす人間たちを黙って見守っている。星に思いがあるとしても下界の人間にそれを知るすべはないが、自分とは関係ないところに誰かの生があり、世界が拡がっているという事実は孤独な心をいささかでも慰めてくれるだろう。

 天の星のように書かれる数多の小説たちも、同じように誰かの心に届く日を待っている。

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ベガ、アルタイル、デネブから成る夏の大三角形(イメージ) ©AFLO

杉江松恋(すぎえ・まつこい)
1968年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。ミステリー書評を中心に活動し、古典芸能関連の著書も多い。著書に『浪曲は蘇る』、『ある日うっかりPTA』、『路地裏の迷宮踏査』、『読みだしたら止まらない! 海外ミステリー・マストリード100』『絶滅危惧職、講談師を生きる』(神田伯山と共著)、『100歳で現役! 女性曲師の波瀾万丈人生』(玉川祐子と共著)『鶴女の恩返し』(桃川鶴女と共著)など。近著『芸人本書く派列伝』。

文春文庫、伊岡瞬のベストセラー

祈り
楓太は公園で、炊き出しのうどんを食べる中年男・春輝が箸を滑らせる光景に出会う。その瞬間…? 都会に馴染めない楓太と暗い過去を持つ春輝の人生が交錯する時、心震える奇跡が起きる。

『祈り』

赤い砂
電車に男が飛び込んだ。事故現場の鑑識係・工藤は同僚の拳銃を奪い自殺、そして電車の運転士、拳銃を奪われた同僚警察官も自殺した…連鎖する死の真相を刑事・永瀬が追う。大手製薬会社に届いた脅迫状「赤い砂を償え」の意味とは?

白い闇の獣
凄惨な少女誘拐殺人事件で捕まった3人は、少年法で守られていた。4年後、3人のうちの1人が転落死。疑われたのは、殺された少女の失踪した父親。一方、少女の元担任はある思いを胸に転落死現場に向かう。慈悲なき世界を描く作者の真骨頂!