「ギリギリアウト感」が呼び起こす昭和ノスタルジー

 かつてテレビは、もっと自由で刺激的だった。私がまだ小学生の頃、ゴールデン帯のバラエティ番組で、おっぱいポロリどころか、むき出しのそれを男性が堂々と揉んでいるのを、家族と見ていた記憶がある。当時は現役ストリッパーだって、深夜帯とはいえテレビに出演することもあったのだ。

 彼女たちの職業であるストリップの始まりは、「額縁ショー」と言われている。ただ額縁の中に立ち、おっぱいを見せる程度で、世の男たちは熱狂した。それが徐々に過激化し、ステージの上で本番行為を見せるまでにエスカレートしていく。人間は刺激に慣れやすく、より強いものを求める生き物なのだ。

 しかし現代はそうしたものが規制され、人々の意識も変わり、テレビもストリップも、昭和期よりだいぶマイルドな表現に変わっている。

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『何で死体がスタジオに!?』は、そんな世の中だからこそ衝撃的なミステリーでありつつも、舞台となるテレビ番組の「ギリギリアウト感」がノスタルジーを呼び起こす。昭和と令和の感覚を併せ持つ私は、本作品の読者として最適な世代かもしれない。

『なんで死体がスタジオに!?』(森バジル 著)

状況は最初から笑い出したいくらいヤバい!

 テレビ愛だけは人一倍の、信じられないほどドジで不器用な幸良プロデューサーが仕切る《ゴシップ人狼2024年秋》は、局の命運と彼女自身の進退を賭けた、全国ネットで2時間生放送、まさかのゴールデン帯だ。失敗は許されない。それなのに、初っ端から出演者のひとりが、放送の直前になっても姿を見せず、連絡も取れない状況だった。すでに笑い出したいくらいヤバい状況だ。

 番組タイトルにある「人狼」とは、人狼ゲームのことである。メンバーはまず村人と人狼に分けられ、お互いの身分がわからないまま会話で推理していく。人狼役は正体を隠しながら嘘で場をかく乱し、村人役は嘘を見抜いて人狼を処刑する。番組ではこのスリリングな頭脳ゲームをベースに、出演者の芸能人たちが自前のゴシップネタを披露するという、ダブルでエキサイティングなルールを設定していた。人狼役が混ざっているということは、そのゴシップが真っ赤な嘘かもしれない。しかし村人は嘘を吐くことができないから、必ず本物のゴシップがある。その状況だけで、目を離せなくなることは想像に難くない。