ベストセラー『代償』『悪寒』といった数々のダーク・ミステリーで人気を集める作家・伊岡瞬さん。伊岡作品は、リアルな人間描写と予測不能なストーリー展開、複雑な人間関係を通じて、読み手を物語世界へと強く引き込んでくれる。その作品群は一部では、読み始めると抜けられない「伊岡沼」と呼ばれている。

 伊岡さんの最新文庫『奔流の海』は、天文観測、特にこと座のα(アルファ)星ベガが、物語の重要なモチーフになっている。ベガは「織り姫星」としても七夕伝説で広く知られており、この「伊岡瞬史上、最も残酷で美しい青春ミステリー」は、七夕の夜に読むのにぴったりの作品としておすすめだ。この度、そんな『奔流の海』の魅力を、書評家の杉江松恋さんが熱く紹介してくれた。

伊岡瞬さん文庫『奔流の海』書影

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 押し寄せる絶望の波に負けず、そびえたつものは何か。

 伊岡瞬『奔流の海』を読む人がまず感じることは、作者はここまで登場人物を追いつめるのか、という畏怖の念ではないかと思う。

 秘められていた事実が幾度も明かされ、世界の見え方がそのたびに変わっていく、という展開の物語である。新しい情報が開陳されるたびに、誰かが心に傷を負う。ここが本作の重要なところで、単なる驚かしのためのどんでん返しではないのである。足元が崩れるような感覚や、自覚すらしていなかった痛みに気づかされるということがあり、彼らが味わう感情が読者の側にもひしひしと伝わってくる。痛い。しかし、止められない。

 結構な長い時間の流れを、謎を醸成するための武器として使っている小説でもある。構成に妙味があって、序章ではまず不安を醸し出す情景が描かれる。1968年7月7日に時計の針は合わされている。その日、静岡県千里見町は大型台風の襲撃を受け、土砂崩れによって多くの人命が奪われた。その夜なのだ。有村という若い夫婦が避難を始める。乳児を連れての移動は実に心細い。夫婦が幕切れで登る「少しでも板を踏み外せばずぶずぶと足がめりこむ」土砂の山は、今にも崩壊しそうな世界への不安を映し出す二人の心象風景そのものだ。

小説の舞台のイメージとなった静岡の海辺の風景 ©AFLO
土砂崩れのイメージ ©AFLO

 第一章第一部では一転して時が流れ、1988年3月の話になっている。舞台は同じ千里見町だ。主人公の清田千遥は、清風館という旅館の一人娘だ。千遥の母が一人で切り盛りしていること、しばらく清風館は休業していたらしいこと、それは父がしばらく前に急逝したためであるらしいこと、などが状況とともにわかってくる。そこに現れるのが東京で大学に通っている坂井裕二という青年だ。無理を言って清風館の泊り客となった裕二は、夜な夜な一人で出かけていく。そのことに、千遥は不審の念を抱く。