偏差値60の高校を勧められたが、母の意向で偏差値40の商業科に
――小中学生の時の成績はどうでしたか。
濱井 親や親戚に怒鳴られて育ったせいか、「周囲に怒られないために」という理由で、勉強はわりと真面目にやっていました。中3時の成績は学年52人中で10番くらい。悪いほうではありませんでした。
でも、勉強への意欲はないんですよ。父は寝たきりで、どうせ高校を出たら働くんだし「なぜ勉強しなきゃいけないんだ」と思っていたので。
――親や親戚から「いい学校へ行け」とは言われなかった?
濱井 まったく言われなかったです。周りは「高校卒業すれば御の字や」という雰囲気でしたから。
中3で高校を選ぶときも、先生には偏差値60くらいのK高校を勧められたんですが、母は「K高に行ったら進学しかできひんけど、隣の市のS高なら進学も就職も選べるで」と、偏差値40の商業科を勧めてきました。しかも推薦で入れると聞いて、S高を選びました。
――お母さんの助言は、素直に納得できましたか。
濱井 はい。親の言うことは正しいだろうと思っていたので、抵抗感はなかったです。それに、当時の私は学歴や偏差値という言葉も理解があやしいレベルで、人生に「大学に行く」という選択肢がありませんでした。大学はファンタジーの世界というか、完全に他人事だったんです。
「自分はいるだけで他人を不快にさせるダメな人間だ」
――大学は他人事。
濱井 そうですね、周りに大学生もいなかったですし。それに当時は、自分の夢を語るのはダメなことだと思っていました。
小学生の頃に「ゲームクリエイターか野球選手になりたい」という夢を親戚に話したら、すぐに「無理や」「おまえになれるわけないやろ」とバカにされて。そういうことが重なり、中学生になると「やりたいことを話すと否定される、怒られる」と思うようになっていたんです。
――お母さんからもよく怒られましたか。
濱井 「~~はダメだ」「~~しちゃいけない」という言い方はよくされました。今振り返ると、当時は父の介護や収入減など心労が重なり、母もメンタルが不安定だったと思います。
でも、子どもだった私は言われたことを鵜呑みにして「自分はいるだけで他人を不愉快にさせる、ダメな人間だ」と思い込みました。自己肯定感が低かったので反抗期もなく、偏差値の低い高校に行くことも抵抗感はなかったです。