「9浪はまい」こと濱井正吾氏(33)は、18歳から27歳までの9年間を浪人として過ごした。関西の私大2校に通った時期もあったが、それはあくまでも“仮面浪人”。
「地方在住・底辺高校・貧困家庭」という三重苦から自分の境遇を恨み、学歴コンプレックスを「完全にこじらせた」時期のすさまじい生活ぶりを聞いた。(全3本の2本目/3本目を読む)
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「おまえらみたいなサルがいるから、この大学はダメなんじゃ!」
――濱井さんは「9浪」と言いつつ、2009年にストレートで大阪の私大の経済学部へ入学しています。“憧れ”の大学生活はどうでしたか。
濱井 実は入学後すぐ、その大学に失望してしまったんです。というのも、学生たちがうるさすぎて授業が聞き取れないし、教授には「おまえらみたいなサルがいるから、この大学はダメなんじゃ!」と怒鳴られるし……屈辱でしたね。地元を出て高校の下劣な奴らと離れたのに、また同じレベルの人間に囲まれた気がして。
――これじゃ、高校時代と変わらないと。
濱井 はい。あと、他大の学生はどんな雰囲気かを確認したかったので、インカレサークルに入ってみたんです。
そこで知り合った京大や同志社の学生はみんな優しくて、物事の考え方も多面的で、自分の周りにいた学生と全く違うことに心底驚きました。高校までは怒鳴られた記憶しかなかったので、人と接することに恐怖感があったのですが、京大や同志社の学生は「悩みがある人にはよい面を見つけて励ます」というコミュニケーションをしていました。「励まされると人は自信が持てるんだ」と知り、愕然としたんです。
自分もこんな素晴らしい人たちに近づきたい、それにはもっと高い偏差値の大学に行こうと思い、入学から1カ月経つ頃には仮面浪人を決めました。ただ、当時の私の学力は酷いもので、英文は「I are」と書くほどでしたから、2年勉強して他大に編入する計画を立てました。
龍谷大に編入し、「授業が聞こえる! なんていい大学なんだ」
――努力が実り、実際に2年後には龍谷大学の経済学部現代経済学科へ編入しています。20歳で2度めの大学生活はどうでしたか。
濱井 龍谷大学に入ったときは本当に感動しました。周りの学生の人間性が根本的に違うんです。みんな真面目で知識もあるし、授業中も静か。「これが求めていた大学なんだ……」と感極まって、涙が出たこともあります。龍谷大には嫌な思い出はひとつもありません。
――でも、浪人生活はその後も7年間続きますよね?
濱井 龍谷大では、私ひとりだけが周りの学生についていけない感覚があったんです。たとえば教授が「これは微分だから高校でやってますよね」と言っても、私は高校数学を二次関数までしかやっていないので、「微分」という言葉自体を知らない。そういうことが無数にありました。