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――フルタイムの仕事をしながら受験勉強を再開したのですか?

濱井 そうです。日中は仕事、夜は予備校でしたが、両立は地獄でした。営業で毎日車を200kmくらい運転していたので、夜の予備校の授業では疲れ果てて目が開かないんです。

24歳、6浪めの濱井さん。「ちょうどセンター試験で39%をとった頃の写真です。試験は土曜だったので嫌味を言われつつ有給を使い、落ち込む暇もなく翌日は出勤。どん底でした」(本人提供)

 社会人1年めの5浪時は学力が伸びずに受験できず、6浪で初めてセンター試験を受けたものの39%しか取れず出願なし。7浪めの年に貯金が300万円貯まったので退職し、受験勉強1本に絞りました。でも、その年もセンターが49%で出願しませんでした。

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――早稲田を受けるところまでも辿りつかなかった。

濱井 学力的に、受けること自体が非現実的なレベルでした。基礎がないので全科目を本当にイチからやり直したんですが、「がむしゃらにやるぞ!」と勘違いして〈英・国の辞典を1ページめから丸暗記しようとして挫折〉〈公式を意味も分からず丸暗記しようとして挫折〉〈同じ参考書を60周やり続ける〉〈英文をエキサイト翻訳にかけて訳文を丸写し〉など、的外れな勉強法ばかり……。当然、学力は伸びませんでした。

――その頃、ご家族との関係は?

濱井 険悪を越えて最悪で、応援する雰囲気はゼロでしたね。でも、私も「結果を出すしかない」と意地になってしまって。母には何を言っても怒られるので、完全に無視していました。

――弟さん、妹さんも同居していたんですよね。

濱井 きょうだいとも会話はほぼゼロでした。しかも弟と妹は、高卒で就職しているんです。彼らは「大学は興味なかった」と言っていますが、年収180万の家庭で長男が私大に行ったので、進学を遠慮したのかもしれません。

 それなのに、兄は懲りずにまた受験しようとしている。心中穏やかじゃなかったと思います。私の進学は、家族の負担と遠慮のうえに成り立っています。このことはずっと負い目で、家族には本当に申し訳なかったと今も思っています。

8浪めで6大学・11学部受けてまさかの全落ち

――8浪め、26歳のときは、かなりの数を受験したんですよね。

濱井 その頃はメンタルが完全に崩壊していました。予備校にいるのは現役生ばかりで、浪人生といっても1浪ぐらい。26歳の8浪なんて誰もいないんです。私から見ると1浪は10代なので、ほぼ「現役」。大きな溝があり、予備校内でも私ひとりが浮いていました。

 しかも成績がなかなか上がらず、講師からも「大学は行かなくてもいい」「おまえなんか受験をやめてしまえ」と言われて。この年は同志社、明治、上智、早稲田、慶応、阪大を11学部受けて、全落ちしました。

26歳・8浪めの濱井さん。「当時は、科挙に4回落ちて30歳になった洪秀全の人生に自分を重ねて、泣いていました」(本人提供)

――8浪めで11落ちはダメージが大きいです。

濱井 本当に落ち込みました。親戚からも「おまえみたいなもんが早稲田に行けるわけない、おまえがやってることは親不孝やと気づけ!」「才能ないから早く諦めろ」など、散々な言われようで……もう、自分を取り巻く全てを逆恨みしました。

――逆恨み?

濱井 そうです。酷い責任転嫁ですが「あの日、父親が倒れなければ」「親が教育に関心があり、もっとお金をかけてくれれば」「あんな高校に進学させられなければ」など、8浪の原因を親のせいにして恨み、悪口を言うことでしか発散できませんでした。そして9浪め、現状を打破しようと、京都の予備校に入って一人暮らしを始めることにしたんです。

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