「9浪」つまり9年間の浪人生活の末に27歳で早稲田大学教育学部へ入学し、2022年に卒業、現在は大学院入試に向けて再び浪人生活に入った濱井正吾氏(33)。
浪人専門家「9浪はまい」として教育や受験情報を発信するが、彼が9年間という長すぎる浪人生活を送ることになったのは、小さい頃に植え付けられたコンプレックス、そして高校時代に野球部の同級生から受けた苛烈なイジメが影響したという。濱井氏に、幼少期の環境や壮絶なイジメ体験を聞いた。(全3本の1本目/2本目を読む)
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父親が脳出血で倒れ要介護になり、家庭は年収180万に
――濱井さんは18歳から27歳までの9年間を「浪人」として過ごしていますが、子どもの頃から学歴へのこだわりが強かったのですか?
濱井 実は高2の終わりまで、東大と早稲田以外の大学を知らなかったんです。それまで、大学進学を考えたことは一度もありませんでした。
というのも、私が生まれたのは兵庫県丹波市という山間部です。親族や周囲には大卒者が1人もおらず、「大学生」という生き物を見ないまま育ちました。父は郵便局員で、田舎では裕福な家庭だったと思いますが、私が10歳のときに父が半身不随になりまして。
――ご病気ですか?
濱井 脳出血で倒れて要介護度5になり、その後亡くなるまでの18年間は寝たきりでした。父がいるのは基本的にリハビリ施設か病院で、家に帰るのは「外泊」。ある日を境に、母と私、弟、妹の母子家庭状態になったんです。
――生活が一変したんですね。
濱井 母がパートで働きましたが収入は激減して、年収は180万円ほど。私が早稲田に入ったあとも200万を超えたことは1度しかなく、親戚には「おまえは長男やし、高校を出たらこの家でお母さんを助けてあげなあかん」と言われ続けました。自分でもそれが当然で、高卒で働くんだろうと思っていました。
それでも、周りが「かわいそうや」と洋服やゲームソフトをくれたりしたので、貧しいとはあまり感じていませんでした。
――では、それなりに楽しい子ども時代でしたか。
濱井 楽しいというよりは、いろんなことを知らなすぎて、全てがフワフワしていたような気がします。都会と田舎の違いや、勉強する意味などは考えたこともありませんでした。「こうなりたい」と憧れる大人もいなくて、好きなものはゲームと野球。「将来はゲームクリエイターか野球選手になりたい」と漠然と思っていました。