「なんで大学行かへんの? 行けばええやん」と
――部活を辞めようとは思いませんでしたか。
濱井 親族から「運動せん奴はダメや」と言われていたんです。でも高2の秋に精神的に限界がきて、部活に行くと動悸が起きたり涙が止まらなくなり、仕方なく退部しました。
――その後の学校生活はどうでしたか。
濱井 学校には通っていましたがやる気を失い、家ではオンラインゲームにのめり込みました。そこで知り合った仲間に、同志社大学の学生がいたんです。それが、私が初めて接した「生きている大学生」でした。
地元で働く未来に絶望していると彼に相談したら「なんで大学行かへんの? 行けばええやん」と言われて、私の人生にも「大学受験」という選択肢があることに初めて気づいたんです。今もその瞬間を思い出せるくらい、革命的でした。
――地元を離れる未来がそのときに見えた。
濱井 自分をイジメた奴らがいる地元で働くのは、完全に無理でした。田舎は狭いのでいずれ顔を合わせるし、そこでまた高校時代のヒエラルキーを持ち出されるかと思うと、本当に絶望しかなくて。
でも「地元を出て大学に行けば、イジメた奴と別の場所で生きられる」というのは、大きな希望でした。それに野球部を辞めたのとオンラインゲームを始めたのは、初めて自分から起こした行動だったので、親や親戚からの鎖は断ち切れるという成功体験になったんです。
――進学ではなく、別の場所で就職という手もあったのでは?
濱井 もちろんそれもあったのですが、学校時代の記憶が一生暗いままで終わってしまう……という思いがありました。小・中は楽しかった、でも高校は暗黒だった。だから「大学」という楽しい記憶を上書きしたかったんです。
あと、イジメた奴らを見返したくて。奴らには一生到達できない場所まで行きたい、それは「大学進学」しかない、と。そこで情報処理検定の資格推薦を使って、現役で大阪の私大に入ることができました。ところが、これが9年間続く浪人生活の始まりでした。
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