――龍谷大学は十分に有名な大学だと思いますが……。
濱井 私もそう思いますし、本当にいい大学でした。ただ私の地元は「東大と早稲田」ぐらいしか知らない人も多いんです。自分自身も、高校時代は京大すら知りませんでしたし。
だから東大か早稲田に行けば、自分のコンプレックスは解消するのではと思いました。それに早稲田は私の好きな斎藤佑樹選手の出身校だったので、第一志望に決めたんです。
完全にこじらせた「関関同立、GMARCH以下は意味ナシ」
――ご家族は、濱井さんの3回目の大学受験にどんな反応でしたか。
濱井 私がまた受験勉強を始めたことがわかると、家族とは一気に険悪になりました。母は「本気で言うてんの? みんな働いてんねんで」と。確かに同級生はもう働いていたし、大卒という学歴は既にある。家族にしたら「これ以上何したいねん」という思いだったのでしょう。居間の壁に暗記用のメモを貼ったり、食卓で単語帳を見ている私に「もうやめてくれ」と怒っていました。
――四面楚歌ですね。
濱井 完全に浪人をこじらせてしまいました。就職したのは受験費用を貯めるためと「無職だと地元で世間体が悪い」という理由でしたが、働いてからコンプレックスはより根深くなり、自己肯定感は地の底に落ちました。
この頃には完全に学歴厨になっていました。だって、何浪してでも早稲田に入りたい人間が「学歴がすべてじゃない、もっと下の大学でもいい」というのは、嘘があるでしょう?
――確かにそうですね。
濱井 それで「第一志望は早稲田。関西なら最低でも関関同立、東京ならGMARCH以上じゃないと大学に行く意味がない」と思い込むようになりました。今振り返ると、完全にコンプレックスです。龍谷大が悪いわけじゃなくて、自分で自分を認められなかった。有名大に一般入試で合格すれば、そこで初めて自分を誇れると思いました。
同時に「周りからすごいと思われたい」「私を下に見る奴らの上に立ちたい」という、栄誉心やどす黒い気持ちがあったことも否定しません。