「実は僕は……」主人公役の袴田吉彦に話した
――自分はゲイだと周囲には打ち明けていたんですか?
橋口 いや、話してません。だけど撮影が始まって10日くらい経ったころです。そこまで撮影が本当につらくて、自分の映画を撮っている手応えがいっさいありませんでした。ずっと自主映画を撮っていた自分が、いきなりプロのスタッフと仕事をすることになって、そのうえ「あの監督、ホモだよね?」と噂されていると思ったら、完全に心を閉ざしてしまった。
でもそれでは駄目だと思い、撮影を止めて、主人公役の袴田吉彦に話しました。「実は僕は……」って。袴田は「僕にこの役はできません」と泣きだしましたが、それ以降、彼の演技はがらりと変わったと思います。それまで人形のようだった彼のなかに魂が宿ったんです。
とはいえ、最後まで満足のいく場面は撮れませんでした。不本意な映画を撮ってしまった――そう思っていたら、『氷の微笑』を日本でヒットさせた女性プロデューサーが観て、日本ヘラルドでの配給が決まったんです。
海外でもベルリン国際映画祭のヤングフォーラム部門やニューヨークのレズビアン&ゲイ映画祭に出品が決まり、ニューヨーク・タイムズでは日曜版の1面にでかでかと写真が掲載されました。
「なんでこんなに客が入ってるんだ!」
――1993年に公開された『二十才の微熱』は結果的に大ヒットします。
橋口 封切りは9月4日、新宿のシネマアルゴでした。台風が近づいていた日で、初回前の劇場に行ってもだれひとりいないんです。さすがにだれも来ないよなと思ったら、劇場の人が「なに言ってるんですか?」と。台風だったので、詰めかけた観客には隣のビルの非常階段に並んでもらっているというんです。公開後は連日満員。シネマアルゴからJR新宿駅東口の駅の方まで行列ができたこともありました。
その初日、僕がロビーに座っていたら、東映の会長だった岡田茂さんが来て、客席を覗いて大声で言ったんです。「なんでこんなに客が入ってるんだ! 監督が無名、役者も無名、16ミリ。しかも内容がホモだよ!」って。まだそんな時代でした。