死のうと思ったけど、この映画を観てやめたという人も……
――80年代の終わりから90年代にかけて、時代は大きく変化していきます。
橋口 バブル景気のころは、明るいことが正しい、暗いことは悪、ノリこそすべてという風潮でした。僕もさんざん言われましたよ、「橋口、お前は暗いな」って。たぶん僕の異質さをとらえて、みんな暗いと言っていたんです。
でも暗いから、異質だからって、なにが悪いんだと。当時はみんな同じデザイナーズ・ブランドの服を着て、同じ髪型で渋谷の街を歩いていました。本来はひとりひとり違うはずなのに、仲間外れになりたくなくて同じ格好をしている、そう感じていたんです。
だから『二十才の微熱』を観たときに、同性愛者じゃなくても、「私はみんなと違う。でも違っていいんだ」と思ってくれる人が必ずいると信じて、あの作品を作りました。やっぱりそういう人たちに、きちんと届いたんだと思います。公開後には全国からたくさん手紙をいただき、そのなかには親に同性愛がばれて、死のうと思ったけど、この映画を観てやめたという人もいました。
「世の中の空気が一変するんです。要は金なんだなと」
――ヒットしたということは、時代の変化をとらえていたんでしょうね。
橋口 この作品の宣伝のとき、嘘をつきたくなかったので正直に自分のことを話したら、「カミングアウトした」と記事に書かれました。するとその年の終わりに、フジテレビの『Johnny』という番組で「今週のカミングアウト」というコーナーが始まり、「カミングアウト」という言葉が一般に定着したんです。
『少女の微熱』や『同窓会』、『あすなろ白書』といった同性愛を扱うテレビドラマも始まりました。時代が変わる瞬間だったのかもしれません。でもそれは偏見がなくなったというわけではなく、お金が動くことがわかったからですよね。
平凡な男の子のなかにもそういった感情があることを描き、一般映画でヒットしたというのは日本映画史上初のことでした。「こんなホモの映画、だれが観るんだ!」と関係者は思っていたのに、そこに金の木があるとわかった。すると、世の中の空気が一変するんです。ああ、要は金なんだなとそのときに思いました。
撮影 石川啓次/文藝春秋