公開中の映画『お母さんが一緒』が高い評価を得る橋口亮輔監督(62)。1993年、初の長編監督映画『二十才の微熱』以来、描き続けたテーマにはある共通点があった。9年ぶりの新作を前に、これまでの歩み、そして映画へ込めた思いを尋ねた。(全2回の前編/続きを読む

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自分の個性を掘り下げていったら同性愛があった

 

――ゲイだと自覚したのは大学時代だったそうですね。

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橋口 ええ。まず高校2年生のときに8ミリカメラで自主映画を撮りはじめて、大阪芸術大学に進学したんです。高校時代は『ゴジラ』や『ガメラ』、『風と共に去りぬ』や『サウンド・オブ・ミュージック』こそが映画だと思っていたので、初めにSF映画、次にミュージカル映画を撮りました。

 ところが芸大に行ったら、実験映画もアニメーションも、いろんな種類の映画があることがわかったんです。そこで初めて、自分はモノマネしかしていないことに気づいて。じゃあ、自分にしか撮れない映画はなんだろうと思ったんですね。

――それで自分の個性とはなにかを掘り下げていった、と。

橋口 それまで自分は平凡な人間だと思っていました。でも世界に数十億の人がいるなら、数十億分の1の個性がきっとあるはずだと。最初は中3で両親が離婚して、自主映画と出会って、高校時代にブラスバンドをやって、というドラマくらいしか自分にはないと思って、それを自作自演で撮ったんです。

 だけど自分のなかを見つめていくと、そこには同性愛があった。高校生のころ、好きな男の先輩がいたけど、そのときは異性愛に向かう手前の感情だと思っていました。夏目漱石も『こゝろ』にそのようなことを書いていましたよね。当時は一生懸命ごまかそうとしていたんです。

 ただ、一度あると気づいてしまったら、それをないことにはできない。それで主人公が同性の親友に思いを寄せる『夕辺の秘密』という自主映画を、これもまた自作自演で撮ったんです。つまり自分のなかを見つめるということが、映画監督としてのスタートラインだったんですね。