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プロレスラーは権威に認められるとうれしいのだ

 これを受けて鈴木みのるはXに「オレの職業はプロレスラー。ものすごい倍率のチケットを手に入れた16人の観客たち全員が『あー楽しかったー』って思ってもらえるように全力で自分のやるべきことをしたまで。誰に、何を、何と言われようが、これがオレの仕事に対する考え方。観客全員が笑顔で電車から降りていく姿を見れたからOK」と投稿した。

 では今回の件を自分なりに考えていきたい。まず私はプロレスに多様性という概念を教えてもらった。1990年代初頭のことだ。

 馬場猪木の時代が終わり多団体時代となり、さまざまなレスラーが観客に多様な世界を見せた。格闘技系の試合もあればデスマッチもある。それぞれを楽しんでいいんだという価値の多様性をいち早くプロレスが教えてくれたのである。今でも感謝している。だから新幹線とか都電の車内でプロレスをやるのもアリだと思っている。今回のように「公」を取り込んでいこうという野心も理解できる。

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 その前提のうえで「プロレスと政治」について考えたいのだ。髙木三四郎の小池称賛コメントには権力者に近づく野心家が放つオーラが出ている。そのうち選挙に出そうな“やり手臭”もする(過去に出馬歴もあり)。

 私はそうした匂いは大の苦手だが、プロレスの歴史を振り返ると髙木だけではない。子どもの頃に読んだコラムには「アントニオ猪木は自分の興行に政治家を上げるから嫌だ」と書いていたものが印象的だったし、実際に猪木はそのあと政治家になった。後を追うように政治に進んだレスラーも多い。現石川県知事もそうだ。そもそも日本のプロレスの父と言われる力道山は政治と密接だった。

プロレスブームの立役者となった力道山 ©時事通信

 長年プロレスを取材してきた斎藤文彦氏は次のように語る。

「日本プロレスのコミッショナーが自由民主党副総裁の大野伴睦でした。力道山のプロレスは大資本(三菱)と政治とテレビが一体となって始まりました。メディアには正力松太郎がいた。テレビの隆盛こそが戦後復興になると思われていたなかで力道山のプロレスは良いコンテンツとして評価されたのです」

 力道山のプロレスは生まれたときはカギカッコ付きの「超メジャー」だったと斎藤氏は念を押した。しかし時が経つとプロレスはマイナー視される。スポーツではなくショー、八百長と言われたのだ。アントニオ猪木は世間の偏見に怒り「プロレスに市民権を!」と叫んだ。

 今回も髙木三四郎は小池都知事の来訪に「プロレスが視察に来ていただけるくらい、市民権を得たスポーツだと証明できたのかなと」とも語っている。長い間マイナー視されていたジャンルだから権威に認められるとうれしいのだ。これはプロレスファンも同様である。