時代的な背景を考えると、戦前も終戦直後も、社会的風潮としては法律を勉強するような女性は、「カタブツで話が通じなくて、嫁ぎにくい」とか「息子の妻にはしないでおこう」というような風潮はあったはずです。
そんな中でも、嘉子さんは、女学校時代から劇の「チルチルとミチル」のチルチル役をやったり、ドラマの寅子がそうであるように、しばしば宴会で「モンパパ」や、もう一つの十八番「リンゴの唄」を歌ったりして、明るく活発で人気者だったようです。
それに、宝塚も好きだし、占いなども好きで、意外と乙女チックなところもあった。そんな多面性が魅力的だったのかもしれません。
司法修習があるからか、裁判官や検事の「職場結婚」は多い
ところで、裁判官や検事のいわゆる「社内恋愛」は多いのかと気になる方も多いかもしれません。
私の場合、検事を1年で辞めて裁判官と結婚しましたが、出会いは司法修習生の2年目のとき。夫のほうが1年下の修習生でした。今は修習期間が1年半になり、短くなっていますが、当時は2年間だったので、私は2年目と夫の1年目が重なっていて、東京での実務修習が一緒だったことがきっかけでした。
たぶん仕事を始めると、多忙になる上、仕事の責任も負うことになりますから、仕事を始めてからの恋愛は、当時はあまりなかった気がします。もちろん法廷で出会って……なんてドラマチックな話でもありません(笑)。そんなわけで、司法修習生時代に、大学の同級生のような感覚で付き合う人はたくさんいました。修習期間は、それまで必死に勉強し、厳しい司法試験に合格して、やっとちょっと羽根を伸ばせる期間。自分の事件として責任を持つ立場でもなく、ただ勉強させてもらうという気楽さと解放感があるんです。
「どんなに残酷な殺しの場面でも、セックスの光景でも直視」
昭和31年(1956)5月、嘉子さんは名古屋から東京地方裁判所に戻ってきました。裁判官のスタートも東京地方裁判所でしたし、地方に出すより東京地裁に置いておいた方が上としては安心という判断もあったのかもしれません。