文春オンライン

何でも白黒つければいいってもんでもないだろう問題

「社会的に許されること」の許容量が、減っている感じがする

2018/04/26

genre : ニュース, 社会

note

女性と土俵問題にみる「マナーとルールのあいだ」

 日本社会というのは不当で過剰な対応に満ちています。なんかこう、緊張感が強すぎるというか、自己の安全や権利に神経が行き届きすぎた結果、いわゆる「マナーとルールのあいだ」がどんどん狭くなり、許容できる幅が無くなったように感じるのです。お相撲さんがお相撲さんをビール瓶で殴ってもみんな笑顔で揉み消す組織が当たり前のように存在した古き日本が良かったのかと言われるとNOですが、救急救命のために土俵に上がった女性に対して容赦なく土俵から降りるようアナウンスがされることに批判が集まるというのはYESだと思います。というか、お相撲さんはなぜビール瓶やゴルフクラブで殴られても大丈夫なのでしょう。そこがまず不思議です。申し訳ないが、もしお相撲さんにビール瓶で殴られたら、私は死ぬ自信ある。マジ死ぬ。土俵のうえに女性が上がるのはNGでも、素敵なメイクが仕上がったデーモン閣下が何一つ言い咎められることなく土俵の上をうろうろしているお相撲さんの世界は異様です。普通逆だろ。会社に女性が来訪するのは問題ないですが、悪魔が闖入してきたら警察沙汰です。相撲関係で出てくる親方や協会の人に、まともそうな人が一人もいないのはいったいどういうことですか。やっぱり相撲の世界は異空間なのだ。そう思うしかないんだ。

©iStock.com

「お前らちょうどいい塩梅ってのがないのか」

 相撲の話はどうでもいい。やはり、問われるべきことは「みんな許容量が少なくなってるんじゃないの」ってことです。#MeToo運動は「そりゃ重要なことだよね」と首を縦に振りつつも、女性に対して「今日も可愛いね」と声をかけるだけでセクハラ認定されかねない現状で、権利侵害をするのではないかとビビりながら職場や家庭や町内会でやっていくほど息の詰まった社会にするのもどうなのかなと思っておるわけです。最近も、財務省・福田淳一事務次官がセクハラ大魔王すぎて失脚してしまいましたが、セクハラ自体は絶対悪ですし、告発にいたったテレビ朝日の女性記者はやむにやまれず行動したという点は「そりゃそうだよなあ」と思います。でも、そういう事務次官にまで上り詰める人が、組織の中から「大将、それセクハラでござろう」とご注進した人もいなかったのか。また、巷では評判のセクハラ大好きマンに一年半以上にわたって女性記者を張り付け、取材の名目で一対一の会食に送り出して、被害を申し出た女性記者に対し揉み消すような行動をとったテレビ朝日も常軌を逸しています。なんかこう、どうしても「お前らちょうどいい塩梅ってのがないのか」っていう東京03のコントみたいな問題が繰り返されているのが日本社会なんじゃないのかと思ってしまいます。

財務省 ©iStock.com

ADVERTISEMENT

 女性専用車両に関する論争にせよ、また「キモくて金の無いおっさん」への差別問題にせよ、ネトウヨ・ヘイトスピーチやポリコレ棒問題がどんどん拡大解釈されていき、誰もが権利を振りかざして声高に非難して最後まで立っていた人が勝ち、というバトルロワイヤル的な緊張関係が辛いのです。ブラック企業は問題だけど、船乗り界隈なんていう数か月遠洋に出たまま帰ってこない仕事はどう判断されるべきなのかとか、古来から繰り返される嫁姑問題がこじれて平然と法的紛争に発展する現状とか、いちいち問題を掘り起こし、人間関係で起きる諍いを再定義し、どちらが正しいのかメディア的な関心にまで盛り上げていくのは窮屈です。少しでも違う意見の排除や、本来は受忍限度内の話が拡大解釈されて権利闘争にまでされてしまって、その裏側でひっそりと死んでいく下流老人というしわ寄せの構造であります。