昭和の時代から、日本では経済発展に伴って野原や空き地が減少し、子どもたちの遊び場が狭められたことが指摘されてきた。それでも子どもたちは遊びへの意欲を失うことなく、森がなくなれば団地でかくれんぼをし、公園でボール遊びが禁じられれば駐車場でやっていた。
だが現在では、そうした遊びさえも規制されつつある。先の50代の園長の言葉だ。
「今は社会全体が、子どもたちが自由に振る舞うことを厳しく禁じている時代だと思う。せっかく親が子どもを公園へ連れて行っても、『うるさい』とか『危ない』とか言われて行動が制限されてしまう。マンションの駐車場や非常階段に至っては子どもの立ち入り自体が禁止されているところもある。かわいそうなのは、子どもを持つ親だ。子どもが自由にしていると、世間の怒りは親に向いて『なんでおとなしくさせない』『なんでちゃんと管理しない』と言われる。だから親も子どもを自由にさせたくてもできないというのが現状なんだと思う」
子どもたちが自由に振る舞うことを禁じられているのは、遊び場だけに限らないだろう。電車やバスに乗っていれば、赤ん坊が泣きだした途端、若い親が周りに気をつかって平謝りしたり、逃げるように途中下車したりする姿に出くわす。あるいは、デパートではしゃぐ幼児を親が大声で叱りつけている姿を見るのも日常茶飯事だ。
最近ではこどもの日に「こいのぼり」をベランダに飾ることを禁じるマンションまであるらしい。こいのぼりがはためく音が住民に迷惑なのだそうだ。
大人ファースト社会のゆがみ
私自身、これまで世界の色んな国を回ってきたが、それと比べると日本では子どもを静かにさせろという圧力が非常に大きい。乳飲み子が泣くのも、子どもがデパートで心を躍らせるのも、こどもの日を祝うのも極めて自然なことなのに、そうしたことすら眉をひそめられる。
どうしてこんなことが起きているのか。明確に言えるのは、大人たちが精神的な余裕を失っていることだ。
誰でも気持ちにゆとりがあれば、子どもの楽しむ姿を微笑ましい気持ちで見守ることができるはずだ。しかし、目の前のことでいっぱいになっていれば、いら立ちを子どもにぶつけてしまう。
そうなった背景に、ここ数十年の社会変化があることは確かだろう。格差社会の中で大人に経済的な余裕がなくなった。親の監督責任が問われるようになった。コンプライアンス(法令遵守)の考えが幼い子どもにまで押し付けられた。高齢化で子どもよりお年寄りが優先されるようになった等々。
何か一つの原因があるというより、複数の要因が重なり合い、子どもファーストではなく、“大人ファーストの社会”ができ上がった結果、子どもたちの聖域だった自由な遊びの機会が奪われていったといえるのだ。