近年はこどもの日に「こいのぼり」をベランダに飾ることを禁じるマンションまで登場…。子どもたちから自由な遊び場を奪う「大人ファースト社会」の弊害とは? ジャーナリストの石井光太氏の新刊『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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自由な遊びとは何か
子どもたちの間でこのような現象が起きている要因は何なのだろう。先生方が一様に指摘していたのは、子どもが遊びから得ていた経験値が減少、あるいは変化している点だ。
これを考える前に、遊びとは何かについて押さえておきたい。
かつて子どもの遊びは、主体的、かつ自由に行われるものだった。近所の子どもたちが空き地に集まり、そこでグループを形成して、みんなで話し合いながら好きなことをしたり、面白そうなことをしたりする。
発達心理学を専門にする慶應義塾大学の今井むつみ教授は、『学びとは何か』(岩波新書)の中で、アメリカの研究者による「遊びの五原則」を紹介している。
・遊びは楽しくなければならない。
・遊びはそれ自体が目的であるべきで、何か他の目的(例えば、文字を読むため、英語を話せるようになるため)であってはならない。
・遊びは遊ぶ人の自発的な選択によるものでなければならない。
・遊びは遊ぶ人が能動的に関わらなければならない。遊ばせてもらっていたら遊びではない。
・遊びは現実から離れたもので、演技のようなものである。子どもが何かの「ふり」をしていたらそれは遊びである。
映画や漫画で描かれる昭和の子どもたちの遊びをイメージしてみてほしい。
あの時代の子どもたちは、大人たちの監視下で、決まったルールに従って遊んでいたわけではなかった。大人たちの目から離れ、地域の多様な子たちと離合集散をくり返しながら、ヒーローや泥棒に化けて追いかけっこをしたり、母親やお姫様に扮しておままごとをしたりした。「鬼ごっこ」や「どろけい」などは、まさに真似事から生まれた遊びだ。
そのような遊びは、単なる娯楽に留まらず、子どもたちが生きていく上で必要な能力を総合的に伸ばす役割を果たす。人間関係の築き方、創造することの喜び、未知なるものへの好奇心、仲間に受け入れられたという安心感、助け合うことの素晴らしさ……。この点において、自由な遊びは社会で生きていくための準備運動のようなものだといえる。
しかしながら、今回話を聞いた先生方によれば、ここ十数年の間に自由な遊びを禁じる風潮が強まったという。