防衛戦はスーパーシード

 藤井名人が強い理由は、いくつもありますが、ここ数年の対局を見ていて私が思うのは、名人には「恐怖心」がないことです。負けること、タイトルを失うこと、自玉が危険に晒されることなどへの恐怖が名人からは感じられません。普通の棋士は防衛戦となれば、タイトルを失うのではないかという恐怖を感じ、大きなプレッシャーを感じるものです。

 1990年、私が挑戦者として当時20歳の羽生善治竜王に挑んだ竜王戦では、羽生さんが駒箱から駒を取り出す時、その手は緊張から、かすかに震えていました。ところが藤井名人は18歳の時に「(防衛戦は)スーパーシードで決勝戦から出られるということではあるので、(タイトルが)減るかどうかではなく、それ自体がありがたいこと」と語りました。タイトルの増減を気にすることなく、シードの一番上から戦えることをただ前向きに捉えている。そう思えるのはおそらく、藤井名人が目指しているものが、一局ごとの勝利やタイトルではなく、「将棋の真理の追求」であるからなのでしょう。とはいえ、自分が18歳だった時のことを振り返ると、その歳でそんな境地に至れるものなのかとただただ驚かされます。

谷川浩司十七世名人 ©文藝春秋

 第2局でも、豊島さんは現在ではあまり指されることのない「ひねり飛車」を採用して、「力戦」に持ち込みました。ひねり飛車は、居飛車の立ち上がりも見せながら、のちに飛車を左辺に展開するという、昭和50年代に大流行した戦法です。当時は「将棋に必勝法があるなら、この戦法なのではないか」とまで言われましたが、対策が練られ、いつの間にかあまり見かけなくなりました。藤井名人が将棋を覚えた頃にはあまり指されなくなっていた戦法ですから、初見ではないにしても、棋譜を見たことはほとんどなかったのではないでしょうか。

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 しかし、これに対して藤井名人は、序盤で2二の角を☖5五角としました。本人も名人戦を通じて、「最も印象に残る手」と振り返っていますが、盤面を大きく使い、先手の動きを封じる巧みな一手でした。この☖5五角に対して、豊島さんは連続長考しますが、苦しい展開になっていきました。藤井名人のセンスの良さが感じられる内容で、ほとんど初見の戦法にも対応できたということで、名人にとっても手応えある一局になったことでしょう。

本記事の全文(8000字)は、「文藝春秋」2024年8月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(谷川浩司「藤井名人には恐怖心がない」)。全文では、谷川氏が藤井聡太七冠を徹底分析しています。