8月28日、藤井聡太七冠(22)は、「王位戦」を制して5連覇とし、2つ目の永世称号「永世王位」を獲得した。なぜ藤井氏はこれほどまでに強いのか? その“強さの理由”を永世名人の谷川浩司氏が、今年、藤井氏が挑んだ名人初防衛戦を通して語る。
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痛恨の一手
名人戦第1局は、藤井名人が作戦を選びやすいとされる先手番でしたが、序盤から後手番の豊島さんの練りに練った作戦が光りました。まず、豊島さんが四手目で☖9四歩。豊島さんから藤井名人への「カーナビなしのオフロード・レースをしましょう」という打診の一手です。藤井名人はこれを受け、「横歩取り」に進み、「力戦」に入っていきます。以後、中盤、終盤と一貫して豊島さんがイニシアティブを取り、非常にうまく指している印象を受けました。豊島さんにとっては、対局前に描いていたビジョン通りの戦い方ができていたのではないでしょうか。
ところが最終盤で豊島さんは、金を取る☖4八竜ならば後手の勝ち筋だったところで☖4四香という手を指します。これが致命的なミスでした。豊島さんは、持ち時間は17分残しながらこの手をなぜかノータイムで指しました。いつもの豊島さんなら絶対にしないミスで、私たちが驚いたのはもちろんのこと、おそらく本人もなぜそんな手を指してしまったのか説明できない、痛恨の一手でした。
なぜ豊島さんは、そんなミスをしてしまったのか? それは藤井名人との対局では、初手から最終手まで絶対にミスが許されないという非常に大きいプレッシャーがかかるからだと思います。それほどまでに藤井名人はミスをしないのです。藤井名人がミスをしない以上、こちらもミスをするわけにはいきません。名人戦となると、対局が始まってから終盤に至るまで20時間近く、極度のプレッシャーに晒されて戦わなければなりません。その果てで豊島さんのあのミスが出た。
このミスがなければ、豊島さんはおそらく勝っていたでしょう。もし、そうなっていたら、豊島さんにとっては、戦型を選びにくい後手番でありながら、自分の目論見通りの「力戦」に持ち込んだ末の会心の勝利になった。となれば、豊島さんは名人戦自体の流れを自分に大きく引き寄せ、勢いに乗っていたかもしれません。
一方で、この第1局では藤井名人の相変わらずの読みの深さにも驚かされました。豊島さんに攻めの主導権を握られていた中盤で、名人の玉が3八にいて、のちに☖2六桂と打たれれば、王手がかかる局面。誰しも自玉が危険な状況は避けたいので、普通は☗2七歩と突いて、☖2六桂を消しておきたいところです。しかし、藤井名人はあえてそうしなかった。「玉が危ないのは嫌だ」という感覚ではなく、自分の読みを信じて指せるのです。それが可能なのは、深く正確な読みができる能力とそれに対する自信を持っているからでしょう。