1ページ目から読む
5/6ページ目

石原 医師からは、代理母出産を成功させるためには私の年齢がキー(鍵)で、「一日ごとに歳を取っていくのだから、あまり悩んでいる時間はない。毎日がチャレンジだよ」と言われていました。正直、最初はピンとこなかったのですが、本当にそうでした。年齢のせいか、なかなかいい卵子が育ってくれなかったんです。

 1回目は排卵誘発剤を使って卵胞が育つのを待って採卵することになりました。でも結局、卵胞が3つしか見えず、仮に採卵できたとしても移植できるものが1つ残るかどうかという状態でしたので、その周期の採卵はキャンセルになりました。

石原さんご夫婦と幼き日の娘さん

 それから2、3カ月ほど卵巣を休めたあと、再度同じ薬でチャレンジしたところ、8個卵胞が見え、3個の受精卵ができました。そのうちの1個を妹の子宮に移植したのですが、着床はしませんでした。残った2つの受精卵は、状態が悪いということで廃棄になりました。

ADVERTISEMENT

 3回目のサイクルでは、同じように8個の卵胞が育ち、3個の受精卵ができました。着床の確率を高めるために2個の受精卵を妹の子宮に移植した結果、1つが着床してくれました。このときの子が今の娘です。

――妊娠の陽性判定を聞いたとき、どのようなお気持ちでしたか?

石原 「やった」の一言です。1回目の採卵は私の卵巣機能が思わしくなく、採卵がキャンセルになり、2回目は採卵後に移植できたものの、何が悪かったのか着床しなかった。ここまでですでにかなり費用がかかっていましたし、何より他州から来てくれた妹に申し訳なくとても落ち込みました。妹は「1回妊娠できなかったくらいで諦めるのは早いよね」と常に楽観的で、その前向きな言葉には大いに救われましたね。

 先が見えず、いつまで続けるんだろうと思いながら挑んだ採卵3回目でようやく着床にこぎつけたときは、本当に「やった!」と。有難いことにその後の妹の妊娠の経過も順調で、無事に出産の日を迎えることができました。

壮絶だった出産の現場

――妹さんの出産には立ち会われたのでしょうか?

石原 はい。出産の場では妹の足側のほうに立たせてもらい、まさに赤ちゃんが生まれる瞬間を見させてもらいました。だけど、生まれてくる赤ちゃんよりも、強烈に印象に残ったのは、出産に臨む妹のとても苦しそうな顔でした。妹とは大人になるまでずっと近くで過ごしてきたのに、妹のこんなに苦しんでいる表情を一度も見たことがなかった。とにかく壮絶でした。