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 でも最初のミーティングで、この映画が啓さんの実体験に着想を得て生まれた物語だと聞きました。もちろん映画なので、脚色も演出もあったとは思います。それでも、長年離れていた父親への想いや距離感などは、啓さんがどういう感覚で生きてきたのかを知ることで、卓という人物をつかむヒントが得られたと思っています。

――認知症については、身近で接した経験などがあったのでしょうか。

 僕はこれまで自分の人生のなかで、認知症患者の方に会ったり、認知症について学んだりした経験がなかったんです。ですから、今作に参加するにあたり、本で読んだりして自分なりに認知症について調べました。

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 そのなかで、一冊の本の中に書かれていた文に出合い、それが、卓という存在を認識するのにすごく役立ちました。

一冊の本に書かれていた文とは…

――それはどういう文章ですか?

「認知症の方と関わるためには、まるで俳優のように、彼らが創り出す虚構の世界に寄り添っていくことが重要なことである」という趣旨の文章でした。

 これは、俳優という職業を生業にしている卓の、陽二(演:藤竜也)さんへのアプローチとして参考になりました。

 俳優は人によって千差万別なので、一概にこうだと言い切ることはできませんが、僕自身は、俳優は起こるできごとや事実、感情に対して、ある客観的な目線を持つと同時に「そのキャラクターである自分をどう生きるか」という主観的視点を持つものだと思っています。その主観性と客観性のバランスが重要で、そのバランスがそれぞれの役者の色にもつながるのではないでしょうか。

 そういう視点を日頃からもっている卓だからこそ、認知症で別人のようになった父と対峙しても、どこかで面白がっているというか、自分にも起こっていることなのに、その状況を俯瞰的、客観的に見てしまうのではないかと考えました。

 つまり、ある種のドライさを持ちながら、「認知症を患った父」という現実に向き合う。卓が俳優という職業だから考えられる人物像として構築してみたつもりです。