映画が丹念に浮き彫りにする「有罪」の矛盾
母親は現場で一人きりではなかった。ヒ素を入れる機会はなかったことを示す自分やきょうだいの証言は「家族だから」と受け入れられない。一方で近所の人の目撃証言は不確かなところがあるのに採用された。ヒ素についての科学鑑定にも専門家による食い違いがある。こうした矛盾を映画は丹念な取材で浮き彫りにしていく。有罪の信頼性が揺らいでいると長男は感じた。
「判決文では(事件で)お子さんが亡くなった情景とかも書かれていて、そういう遺族の思いを見た上で母親を信じるって、生半可に答えられるような発言ではない。その覚悟を持った上で改めて自分の記憶と照らし合わせた時、絶対に母親がやっているとは言えないという結論に至って。真実はどうだったのか」
そこで思い出すことがある。NHKで一緒に仕事をした手練れのX記者が、当時、林夫妻に自宅でインタビューに臨んだ。話を聞くこと数時間、家から出てきたX記者に、外で待ち構えていたベテランの上司が「どうだった?」と尋ねると、X記者は少し考えて、「あれは無実ですね」。これに上司は、「毒婦にだまされやがって」と返した。それほどマスコミで真犯人説は根強かった。無実を確信したX記者は、帰り際、林家の玄関に家族のそろった写真が飾ってあるのに強い印象を受けたという。
「結婚とか普通の暮らしを求めなかった」
報道の影響もあってか、今も世間で有罪を信じる人は多い。ヒ素を使った保険金詐欺を実際にやっていたことも大きい。映画でも、えん罪を訴える人々の前で通りすがりの人が、犯人に違いないと論じる場面がある。
長男自身は「結婚とか普通の暮らしを求めなかった」という。相手に「どこかで迷惑をかけてしまう」から。自分の人生、母への思いを率直に語っている。これが核心に迫る力を生んだ。7月4日、試写会の後、私は監督の二村真弘に話しかけた。
「凄い作品ですね。話に迫真力があります」
すると二村はややあいまいな表情を浮かべた。
「まあ、そうなんですけど、なかなかうまくいかないこともありまして…」