毎月1本以上のアイデア出しを要求...小林製薬の“ドン”の正体とは
小林製薬の創業は1886年。小林忠兵衛が愛知県名古屋市に開業した「小林盛大堂」が源流である。小林製薬の関係者が言う。
「一雅氏は、2代目社長の三郎氏の長男として生まれた。フィギュアスケートを中学3年から始め、高校3年でインターハイと国体に出場。甲南大学に進学した後、全日本選手権で6位に入賞するほどの腕前だったそうです」
1962年に小林製薬に入社すると、
「一雅氏は、鎮痛剤『アンメルツ』(66年)、芳香剤『ブルーレット』(69年)、『サワデー』(75年)などを次々とヒットさせ、医薬品から生活雑貨まで幅広く開発するメーカーへと変貌させたのです」(経済誌記者)
実績を積みあげ、76年、37歳で4代目の社長に就任。
以降も、「糸ようじ」(87年)、「熱さまシート」(94年)といった誰もが知る商品を生みだし続けた。
経営陣には小林一族が揃っている
「独特の“ルール”を作ることでも有名。その代表例が『さん付け運動』です」(同前)
この運動は一雅氏が95年に発案。“仕事の前では平等”の精神のもと、社員同士が肩書で呼び合うことを禁じたのだ。
「経営陣には小林一族が揃っているため、一雅さんは『Kさん』、章浩さんは『Aさん』と頭文字のイニシャルで呼ばせたのです」(同前)
さらに一雅氏は、従業員にも皆一律に新商品のアイディアを求めた。
「開発部門の社員だけでなく、営業だろうと経理だろうと毎月1本以上のアイディアを出し、その数は年間で6万件にも上る」(同前)
それまでの青色だと尿の色などを確認できないという声から生まれた「無色のブルーレットおくだけ」(90年)、それまでより成分を少なめにした漢方内服薬「ナイシトール85」(06年)などヒット作の発案者には、それぞれ50万円と100万円が賞金として出されたという。