乾太郎氏は「教養と気品のある風格を兼ねそなえた紳士」
また、忠彦さんはリベラルな方だったようですから、家庭裁判所設立のために奮闘する嘉子さんの話を乾太郎さんも聞いていたかもしれませんし、嘉子さんにも長官だった忠彦さんに対する信頼があったからこそ、その長男に対する親近感もあったのでしょう。そもそも同じ裁判官同士であるうえ、嘉子さんはまだ女性裁判官が少ない時代に赴任のニュースが出るほど有名でしたから、乾太郎さんは当然ご存じだったでしょう。
では逆に、嘉子さんは乾太郎さんのどこに惹かれたのでしょうか。私が『華やぐ女たち 女性法曹のあけぼの』(復刻版は『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』日本評論社)を書いたとき、嘉子さんの実子の芳武さんが、乾太郎さんについて嘉子さんが語ったことを話してくれました。
「母は三淵乾太郎を『処理が早いし、よく勉強する。仕事が好きなのね』と感心していました。母はもともと、勉強より遊びが好きです。仕事は『やらなければならない』という使命感でやっていました。好きではなかったのです」
また、東京地方裁判所の同僚だったという高津環さんは乾太郎さんについて、こう記しています。
「豊かな教養と気品のある風格を兼ねそなえた紳士で、……(中略)……お書きになった判例解説は、その内容もさることながら、いずれも香り高い名文で綴られており、並の法律家ではない」(『追想のひと三淵嘉子』)
乾太郎氏の長女による貴重な証言「父は恋愛至上主義者」
さらに乾太郎さんの魅力を推測する上では、長女・那珂さんのこんな発言が参考になります。
「父は会津っぽではなく、イギリス紳士型です。彼はアンドレ・モーロアの本が好きでした。お酒の席で、シューベルトの魔王をドイツ語で歌って、周りを困らせました。外国に旅行すると、美術館をめぐって楽しみました。裁判官の中には、外食などなさらない方もいらっしゃいます。しかし、父は、家族をレストランによく連れて行ってくれました」
「父は恋愛至上主義でした。私も『パパがいいなら、いいんじゃない』と言いました。父の気持ちが第一だと思いましたから」