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「決勝直前、熱田神宮のお守りを飲み込んだ」日本女性初の金メダリスト・前畑秀子が抱えていた異次元のプレッシャー「一番でなければ海に身投げも」《長男が語る》

「決勝直前、熱田神宮のお守りを飲み込んだ」日本女性初の金メダリスト・前畑秀子が抱えていた異次元のプレッシャー「一番でなければ海に身投げも」《長男が語る》

5時間前
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どこへ行っても「前畑がんばれ」が…

 翌年、後に内科医となる父・兵藤正彦と結婚して競技の一線を退き、私と弟の正時を育てながら、母は日本中を飛び回っていました。当時は学校に続々とプールが完成し、金メダリストの母は「初泳ぎ」に招待されたのです。どこへ行っても、プールサイドに流れるのは「前畑がんばれ」が収録されたレコード。活躍の話は小学校の教科書にも採用され、私も先生から「息子の兵藤が読め」と朗読させられたものです。それほど、「前畑がんばれ」は流行語でした。また、マスコミの取材などで、幼い息子ふたりを背負って長良川を泳いで横断するサービス精神も発揮していました。

前畑秀子 兵藤氏提供

 忙しかったとはいえ、家族4人で過ごしていた時間は母にとって安らぎの時だったように思います。自分の仕事がなければ、父の診療所の手伝いをしていましたし、休日にはよく旅行にも出かけました。夏は知多半島でキャンプ、冬は志賀高原などでスキーを楽しむ。旅行好きな父の影響もあって、愛車のルノーに乗って色々な場所へ行きました。

 父が昭和34年に急逝してからは、私たちを養うために母の生活の中心は仕事になりました。母校の椙山女学園でコーチをし、シニア向けの水泳教室など世代を問わず指導していました。本心では「日本水泳界発展のため」と思っていたのでしょうが、それを声高に叫ぶことはありませんでした。本当に水泳が好きだったんでしょう。

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兵藤正臣氏 ©文藝春秋

 昭和58年にプール内で脳溢血を起こしたとの連絡が入った際は、私もとても驚きましたが、今になってはこうも思うのです。もし、倒れたのが自宅や路上など地面が固い場所なら、命の危険があったかもしれない。衝撃が緩和される水が、母を救ってくれたのだと。病後に後遺症が残り、リハビリは大変だったと思いますが、持ち前である努力と根性で克服したと聞いています。

「日本人女性初の金メダリスト」の功績を自慢げに語ることなく、謙虚に生きた母は80歳で旅立ちました。水泳に捧げた人生。兵藤秀子は、がんばったと思います。(取材・構成 田口元義)

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」にも掲載されています(「前畑秀子 水の中で汗をかく」)。「文藝春秋 電子版」では、大特集「昭和100年の100人 激動と復活編」を展開中。昭和の忘れがたい人物100人の「本当の姿」を、意外な著名人、親族が紹介しています。

 

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