パリオリンピックで女子100メートルバタフライに出場した池江璃花子さんは、2019年に白血病を公表し、療養生活に専念した後、復活を果たした。池江さんの成長を中学2年から見守ってきた“育ての親”、ルネサンス元社長の吉田正昭氏が、当時の様子を語った「文藝春秋」のインタビューを紹介する。

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14歳から「規格外」

 はじめて会ったのは璃花子が中学2年生のときだったでしょうか。

 地元のスイミングクラブから移籍してきて、18歳以下で競うジュニア五輪などで次々と中学記録を更新していた頃、コーチから将来強くなる選手が入ったと聞かされ、試合会場で泳ぎを見ました。

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 ルネサンスには当時から可能性のある多くの選手がいましたが、璃花子もその一人で、かれこれ7年ほどの付き合いになります。

 すでに「規格外」の選手で、ジュニアでは群を抜いた素質をもっていました。体格面でいえば、両腕を伸ばした長さ、いわゆるリーチが身長より10~15センチほど長い。一般的にリーチは身長と同じと言われています。100、200メートルバタフライの世界記録をもっていたアメリカの“怪物”マイケル・フェルプス選手を超える比率だというのです。

東京五輪での池江璃花子 ©JMPA

 だからひと掻きで進む距離が長く、日本人の自由形では見られない、スケールの大きな泳ぎでした。

 まだ中学生で身体が成長し切っておらず、筋力的にも不十分な状態でしたが、日本のトップレベルの泳ぎを見せていた。当時は自由形で世界と戦える日本人はいなかったのですが、この子なら世界のトップを狙える選手になるかもしれないな、しっかり育てなくてはと大きな責任を感じたものです。

 中学時代から、気遣いのできる、本当に礼儀正しい子でした。最初は社長と選手の関係で少し距離がありましたが、打ち解けていくにつれ、彼女の水泳に対する考えや目標などを聞くようになりました。何かあるときはコーチ経由で連絡をもらうこともありました。

 基本的に私の方から水泳に関して込み入った話はしません。コーチがしっかり練習を管理していますし、色んな立場の人間からアドバイスされると、選手は混乱してしまいますからね。私は、璃花子やコーチの後ろでじっと見守り、何かあればいつでも支えられるようにしています。