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「子どもに発達障害の特性があって、教室から出ていった場合、先生は『あの子は発達障害だから認めるしかない』と考えて放っておきます。押さえ込むことができないので、そういう判断になる。

 でも、これをすると、他の子にまで波及してしまいます。別の子が真似をして教室からいなくなったり、『なんで彼はよくて僕はダメなんですか。それって差別ですよね』という声が上がったりする。

 ややこしいのは、こういう子たちもグレーゾーンだということです。そうなると、彼らの行動も認めなければならなくなり、今度はグレーゾーンではない子にも認めなければならなくなる。これで、クラスがメチャクチャになります。

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 教員の側も、この子は障害で、この子は違うという明確なものがあれば、それなりの対応ができると思うんです。けれど、知的障害と違って、発達障害の場合は診断を受けていない子もいるし、グラデーションの幅がとても大きいので一筋縄ではいかないのです」

 副校長の指摘の通り、発達障害は介護認定やがんのステージのようにレベルが決まっているわけではない。人なら誰もが持っている特性の出方の違いなのだ。

先生の力量に頼るのは限界

石井光太著『スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)

 発達障害の専門家でもない先生方が、35~40人に上る子どもたち一人ひとりの特性を細かく分析して、それぞれに合った対応を決め、他の子どもたちにも納得させて実行することなど到底無理な話だ。

 そうなると、先生は子どもたちの行動を注意できなくなる。だから、教室を出ていったり、床に座り込んだりする子を無視し、席についている子だけを相手に授業をする……。

 これは校内暴力でも同じだ。発達障害の疑いのある子が暴れても、どこまで注意するべきか判断がつかない。そうなると、他の子にも適切に対処することができなくなり、教室に荒れが広がっていく……。

 こう見ていくと、先生の力量に頼るのは限界にきているのかもしれない。