それが約15年後、今田のほうから会いたいと言ってきて、中山に「あのときは迷惑をかけた」と詫びるにいたる。そして、あのころ中山が力を注いでいた、全体を見て番組を盛り上げるということの重要性に、一緒にMCをやりながら気づき、その後、自分でもそうするようになったと打ち明けたという。
「私は中山秀征が嫌いである」と明言すると…
中山と敵対したのは芸能人ばかりではない。消しゴム版画家でテレビについての辛辣なコラムで知られたナンシー関(2002年死去)は、ある週刊誌での連載で《私は中山秀征が嫌いである》と明言すると、彼のことを《なまぬるいバラエティー番組全体の状況が生んだスター》とばっさり斬り捨てた(『週刊朝日』1994年8月12日号)。
じつはナンシー関がそう書く前年、始まって間もない『殿様のフェロモン』では彼女が電話出演して中山と口喧嘩するコーナーが設けられたものの、いかんせんテレビでは遠慮気味で、コーナーの温度もまったく上がらず、すぐ打ち切りとなっていた。
中山はこのときのことを著書『いばらない生き方』(新潮社、2024年)で振り返り、《あの時の僕がもっと「中山秀征的才能」を発揮できていれば、“熱い喧嘩”とまではいかずとも“ぬるい口論”くらいには盛り上げられたはず。それができたなら、さらに辛辣な「プロの批判」をしてくれていたかもしれません》と書いている。ただ、これはちょっと見当違いのような気がする。
ナンシー関が中山を批判した本当の理由
それというのも、ナンシーが先のコラムで批判したのは、《テレビを見ている私には全く関係のない「(芸能界内の)しがらみ・関係性・その他諸事情」のみでスムーズに回っているブラウン管の中の和気あいあい》であり、その象徴的存在こそ中山秀征だと書いているからである(『週刊朝日』前掲号)。
おそらく、ナンシーはこのことを前年の番組出演で痛感したのではないか。そう考えると、中山が書くように、たとえあのとき彼が自分の力を存分に発揮したとしても、ナンシーからすれば、なぜ自分が「ブラウン管の中の和気あいあい」に付き合わされねばならないのかと、よけい不信感を募らせる結果に終わったような気がしてならない。
中山は著書のなかでもう1人、番組で共演しながら自分の力を発揮できなかったと、いまなお悔やんでいる相手がいる。それは、女優の沢尻エリカだ。