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沢尻の「別に」発言の前日に…

 2007年、中山がMCを務めていた午前中の生番組『ラジかるッ』(日本テレビ)に、沢尻が出演映画の宣伝のためゲスト出演するも、中山と目も合わせず、何を訊かれても、事前の質問に答えていたのとことごとく違う回答をし続けた。これにはさしもの中山もついに打開策を見つけられないまま、コーナーを終えざるをえなかった。

 沢尻が舞台挨拶で「別に……」と言って会場を凍りつかせたのはその翌日であった。このために彼女は世間から激しく非難を浴びることになる。その騒動を見て中山は《「俺が『別に』へのトスを上げてしまったのでは……」と、申し訳ない気持ちでいっぱいでした》と悔いた(『いばらない生き方』)。

2007年、「別に」と発言したことが波紋を呼んだ、映画「クローズド・ノート」舞台挨拶での沢尻エリカ。当時21歳

 9年後、別の番組で再会した彼女から謝罪を受け、一応和解にいたったものの、中山は彼女をあのとき不機嫌なまま帰らせてしまったと、当時を思い出すたび、いまも後悔と反省の思いに襲われるという。テレビの外側の人間であったナンシー関の場合とは違い、沢尻はテレビでの印象しだいで人気が左右される立場である。それゆえ、中山が彼女を上手くフォローできなかったと悔やみ続けているのは、テレビのMCとして正しく、真摯な態度だと思う。

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出演を渋る立川談志を口説き…ディレクター的才能も発揮

 中山はキャリアを重ねるにつれ、番組づくりにも深くかかわるようになる。なかでも1999年より19年続き、彼にとって最長寿番組となった『ウチくる!?』(フジテレビ)には、企画の立ち上げから本格的にかかわっている。

 同番組は毎回、ゲストに生まれ育った街や思い出深い場所を案内してもらうというロケバラエティだった。そのコンセプトは、中山が幼い頃から愛読していた往年の『明星』や『平凡』といった芸能雑誌がヒントになっていた。これらの雑誌では、芸能人が故郷に帰って思い出の場所をめぐる名物企画があり、中山はこれをテレビでできたら、日曜昼の番組にピッタリじゃないかと思ったという。

 中山には『ウチくる!?』にどうしても出てほしくて、唯一、自ら出演依頼に赴いた人物がいる。それは落語家の立川談志だった。

立川談志 ©文藝春秋

 当初は出演依頼に「テレビはちょっとなあ」と渋っていた談志だが、中山は「つまらなかったら帰ってくださって結構ですから」と必死で口説いた。すると、談志は帰宅してから娘に「あの中山ってえのは、なかなかいいディレクターだな」と言って、最終的に出演を承諾したという(『週刊現代』2013年9月21・28日号)。なお、中山は談志の死後、遺族の推薦により、NHKのドキュメンタリードラマで壮年期の談志を演じている。

 談志が中山のことを「なかなかいいディレクター」と言ったのは、別に勘違いしたわけではなく、おそらく彼のなかにその資質を見出したのだろう。中山は前出の著書のなかでも、現在のテレビに対し、つくり手の視点からさまざまな提言をしている。

 そんな彼のいまの夢は、かつて華やかなテレビの象徴だったにもかかわらず、『THE夜もヒッパレ』が終了してからというもの途絶えてしまった音楽バラエティを、60歳までにはもう一度復活させるということだ。ここにも、「渡辺プロ」の伝統を次代へと引き継ごうという中山の気概を感じずにはいられない。