家出、ホステスとしての生活、AVデビュー、そして芸能界入り……。36歳という若さで惜しくも亡くなった飯島愛の人生は波乱の連続だった。バブル絶頂期を駆け抜けた彼女の最期とはどのようなものだったのか。

 ここでは、さまざまな有名人物の生涯を描いた関川夏央氏の人気シリーズ『人間晩年図巻 2008-11年3月11日』(岩波書店)の一部を抜粋。「人間・飯島愛」の人生について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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 1987(昭和62)年から1990(平成2)年までの「バブル経済」の時代は、タレント飯島愛(本名・大久保松恵)の14歳から18歳にあたる。

 14歳で学校から遠ざかり、16歳から六本木と銀座のホステス、18歳でAV(アダルトビデオ)女優となって、やがてテレビタレントに転じ、28歳で赤裸々な自伝『プラトニック・セックス』(小学館)を刊行、170万部のベストセラーとした飯島愛は、まさに「バブルの娘」であった。

飯島愛氏 ©文藝春秋

歌舞伎町で遊ぶ少女

 江東・亀戸の会社経営者の長女飯島愛は、両親のきびしいしつけのもとに育てられた。親は娘を都心部の名門私立女子中学に進学させたかったが、それがかなわないとなったとき、おなじ区立でも、より程度の高い中学に越境入学させた。

 母親は「あなたのためだから」といいながら、学習塾から長刀まで多くの習い事をさせた。父親は有島武郎の『一房の葡萄』を朗読させ書き写させるという「道徳教育」を娘にほどこした。そんな強圧的な「多忙さ」から逃れたかったのか、「サザエさんちが理想の家庭」とひそかに思う娘は、14歳から不良行為に傾斜した。

 原宿の路上で大集団で踊る「竹の子族」にまじって知りあった関東近県の女子中学生たちと、新宿・歌舞伎町を遊び場とした。有料トイレで着替え、脱いだ制服をコインロッカーに入れる。デパートの女性衣料品売り場の試着室で気に入った服を身に着けて、そのまま店を出る。ディスコに「中学生割引」で入って閉店まで踊り、シンナーを吸う。パンダのようなお化粧の垢抜けない女の子は、そんなことを繰り返すうちたびたび補導された。

 何度目かに補導されたとき、親は警察に「もらい下げ」に来なかった。そのため、ひと晩留置された。施設送りで構わないという親の意志表示である。しかし、週1回少年二課までカウンセリングを受けに出向くという条件で許された。

 まだ中2だったとき、歌舞伎町のディスコで知りあった少年といっしょにパチンコをして稼ぐと、𠮷野家の牛丼を手に昼の割引タイムにラブホテルへ行き、多いときは1日でセックスを10回以上した。15歳でその少年と同棲、しかし相手の親とのトラブルで逃げ出した。少年の友人たちに助けをもとめると彼らに輪姦されかけた。自殺を考えたが実行できなかった――と『プラトニック・セックス』にある。