16歳で「おミズの花道」
高校に進学したが、一学期で退学した。88年晩秋、16歳になった彼女は「アルバイトニュース」で見た湯島のスナックで働きはじめた。日給1万円、お金をもらえて、カラオケが歌えて、お酒が飲める。お客にちやほやされる。こんな楽しいバイトはないと思った。「愛」という源氏名は、「水商売」の第一歩を踏み出したこの店がつけてくれた。「飯島」という姓はもう少しのち、その頃テレビの深夜番組で人気があった飯島直子にあやかった。その店での客の評判はよかったが、19歳と自称したのに実際は16歳になったばかりとばれて、クビになった。
家にもどるつもりはなかった。「自立」するにはホステスが早道だ。時代はバブル、仕事はいくらでもあった。お客はいくらでもいた。帰りのタクシーは深夜2時過ぎまでつかまらず、時代は沸騰した湯のようだった。
彼女がいうところの「おミズの花道」は六本木から始まるのだが、その前に目黒の広いワンルーム・マンションを借りた。家賃13万8000円、お金は街で知りあった若い自称医者に借り、賃貸の名義人にもなってもらった。いくらでもお金を持っているらしい彼は、アルマーニ、ロレックス、ブルガリなど高級ブランドを身につけ、「肩からのショルダー電話をいつも自慢気に使いこなしていた」。当時の携帯は、まだ戦場無線機くらいの大きさだった。
街は、車で送り迎えしてくれる「アッシー」、ごはんをご馳走してくれる「メッシー」、プレゼントを貢いでくれる「ミツグくん」、本命不在のときの代打要員「キープくん」など、下心いっぱいの青年たちであふれかえっていた。おミズの女の子たちが羨望と嫉妬の火花を散らす「バブル」の絶頂期をすごした六本木でも同僚ホステスに年齢詐称をチクられ、店を辞めた。銀座へ移ったが、美容院に毎日行かなければならず、タクシー通勤で、それらはみな自前だったから、いくら時給がよくても夜ごと朝まで遊んで男に入れあげる癖があればとても追いつかない。