昭和の芸能界やテレビ業界では、単語を引っくり返した業界用語が飛び交っていたという。いまでこそ芸能人でもこの手の言葉を使う人は少なくなったようだが、そのなかにあって中山秀征は使いこなせる希有なタレントと目される。
あるとき、お笑いコンビ・おぎやはぎの矢作兼が、中山に「『川のほとりでたたずんだ』を業界用語にすると?」と話を振ったところ、即座に「ワーカのトリホでズンタッタ」と返ってきたという。
もともと、単語を引っくり返して符牒のように使う習慣はジャズマンのあいだにあり、戦後設立された芸能事務所やテレビ局にはジャズ関係者が多かったことから、そのまま踏襲されたのだろう。
中山が所属する現在のワタナベエンターテインメント、旧渡辺プロダクションの創業者である渡邊晋もかつてはジャズバンドを組んでおり、そのころ知り合ったハナ肇らに資金提供してキューバン・キャッツ=のちのクレイジーキャッツを結成させ、自ら設立した渡辺プロのタレント第1号としている。
中山秀征はこうした歴史を持つ渡辺プロの正統な継承者といえるかもしれない。本人にもその自覚は強いようだ。今年(2024年)5月、彼は自らのテレビタレントとしての半生を顧みた『いばらない生き方』(新潮社)という著書を刊行したが、そこでも渡辺プロへの思い入れがつづられている。
40年前、レッスン生として渡辺プロに入った
中山がレッスン生として渡辺プロに入ったのはいまから40年前、1984年の春である。当時16歳だった少年も、誕生日であるきょう7月31日、57歳となった。渡辺プロではちょうど中山が入った年、「BIG THURSDAY」というお笑いプロジェクトが立ち上げられ、彼もマネージャーに促されるままに参加する。
あるとき、BIG THURSDAYのライブに当時の事務所の社長・渡邊晋が興味を持ち、突然観に来たことがあった。中山は気持ちが高ぶり、いつも以上に力を入れ、「やり切った」と大満足しながら終演する。社長も褒めてくれるのではと期待していたら、「トゥーマッチ!」とまさかのダメ出しを受ける。だが、社長は続けて「お客が疲れる。そこまでやんなくていい」と、穏やかなスマイルでアドバイスしてくれたという。