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中山秀征(57)はなぜこれほどテレビに出続けるのか? “歌も芝居もいまひとつ”だった群馬の少年が「誰にも負けないタレント」になるまで

7月31日は中山秀征の誕生日 #1

8時間前

genre : エンタメ, 芸能

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 これと並行して、先述のお笑いプロジェクト「BIG THURSDAY」に参加する。お笑いの経験などない中山は戸惑うが、このときもマネージャーに「バラエティで売れたら、歌もドラマも両方できるんだぞ。そういう時代に必ずなるから」と言われるがまま、プロジェクトの1期生となった。同期には、のちにホンジャマカを後輩の恵俊彰と組む石塚英彦、また劇団主宰のかたわら放送作家をしていた三谷幸喜などがいた。

三谷幸喜 ©文藝春秋

芸人という自覚はずっと希薄だった

 中山はここで一緒になった松野大介と翌1985年に「ABブラザーズ」というコンビを組み、小堺一機司会のお昼の生番組『ライオンのいただきます』のアシスタント役でまたたく間に人気を集めることになる。

 ただ、自発的にお笑いを始めたわけではないだけに、芸人という自覚はずっと希薄だった。当時のコンビそろってのインタビューでも、自分自身をどう規定するかと訊かれ、松野が《インチキ芸人ですね(笑)》と答えたのを受け、《インチキだよね、2人でなに[引用者注:原文では「なに」に傍点]をやるっていうわけじゃないし。(中略)マルチなタレント。2人だけでなにかをするっていうんじゃなくて、歌やドラマもやる》ときっぱり口にしていた(『スコラ』1986年9月11日号)。

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 ちなみにこの談話が載った記事では、ABブラザーズとともに、当時の人気のお笑い界の若手として、ちびっこギャング、それに東京進出前のダウンタウンが登場している。

「ダウンタウン、ウッチャンナンチャンにはかなわない」

 ダウンタウンとは、ウッチャンナンチャンなどとともに、80年代後半に「お笑い第3世代」として注目された。だが、ABブラザーズはこのころにはテレビを主戦場としていたため、ネタをつくる機会もなくなっており、ライブのため次々と新ネタを繰り出すほかのコンビにどんどん引き離されていく。

かつて中山が松野大介(左)と組んでいたお笑いコンビ「ABブラザーズ」(「YOUNG/ヤング」1987年3月号表紙より)

 結成5年目の1989年に出演したランキング形式のネタ番組では、以前つくったネタを焼き直ししてのぞむしかなかった。結果は惨敗で、マネージャーからも「おまえたちはダウンタウン、ウッチャンナンチャンにはかなわない。負けを認めろ」と言われてしまう。

 それでも中山は「1人のタレントとしては同世代の誰にも負けない」と、相方の松野にも言わず、ひそかに誓いを立て、コンビ活動から単独の仕事へシフトしていく。ABブラザーズとしての最後の仕事は、1991年にゲスト出演した日本テレビの深夜番組『DAISUKI!』の収録となった。中山が同番組にMCとしてレギュラー出演するようになるのは、この翌年のことである。

中山秀征(57)はなぜこれほどテレビに出続けるのか? “歌も芝居もいまひとつ”だった群馬の少年が「誰にも負けないタレント」になるまで

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