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戦死したのは皆、餓死

〈記録によれば、桑原中尉の指揮する第三艇隊(二百二十三名)は、九月二十三日の午後九時四十分にペリリュー島に向けて出発。ところが、ペリリュー島の五キロほど手前の海上にて、船艇が次々と浅瀬に乗り上げ、座礁してしまったという。桑原中尉は「徒歩での上陸」を命令したが、米艦船からの激しい掃射に晒され、珊瑚の海は亡骸で埋まった。結果、ペリリュー島まで辿り着いたのは、半数以下の約百名と伝えられる。上陸できた兵士たちも、その後の戦闘においてほぼ戦死したとされる。

 十一月二十七日、米軍はペリリュー島を占領。その頃、尾池さんはパラオ本島のジャングルで、飢餓地獄をさまよっていた。〉

 食べ物がないので、ジャングルを開墾してサツマイモを植えました。でも、サツマイモが大きくなるのを待てない。葉っぱを食っちゃう。イモが大きくなったら、コソ泥の兵隊が抜いちゃって。それが見つかると銃殺です。監視兵がいて照明を照らす。兵隊がサツマイモを掘って殺されちゃうんですよ。

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 食糧を持って無人島に逃げようとした兵なんて、首を切られるんですよ、首を。憲兵が行って、そいつを引きずり出してきてね。頭を落とすわけだ。えらいことをしたもんですよ。

ペリリュー島に訪問し、生存者らと語らう天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下) ©JMPA

 一方、パラオの島民は、食べ物を分けてくれたりと、日本軍に対して親切でした。有り難かったですね。

 その内に、「日本が降伏した」と部隊長から聞きました。「終戦になったから」と。「敗戦になった」とは言わない。その後、「日本は何だか自由になったらしい」なんて大騒ぎしたこともありました。

 その後もジャングルの中で過ごしましたが、やはり食べ物がなくて。まるで飢えた犬ですね。動くものは、何でも食うんです。例えばトカゲ、ヘビ。火を燃しておいてトカゲを放り込むと、パーンと跳ねるから、それをむしって。それから木の葉っぱを食ったりね。パラオ本島にいた人で戦死したのは皆、餓死です。骨と皮になって死んでますよ。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(早坂隆、土田喜代一、尾池隆「ペリリュー生残の記」)。