「水泳のフェルプスのような存在です。すでに伝説です」

  そしてこの足を引っ張りあうのではなく高めあうカルチャーは、体操界に根付いたものでもある。

  リオデジャネイロ五輪でも、個人総合で優勝争いを繰り広げた内村航平とオレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)の絆が明らかになる場面があった。

  試合の結果は内村が金メダルを獲得し、ベルニャエフが銀メダル。それを受けて試合後の記者会見で、ある海外の記者が内村にこう質問した。

ADVERTISEMENT

「審判から好意的にみられているのでは?」

  内村の得点が高すぎるのでは、という疑問を含むニュアンスの質問に対して、内村に続いてベルニャエフが質問を一蹴したのだ。

「採点はフェアで神聖なものです。無駄な質問です」

  そして、こう続けた。

「(内村は)水泳のフェルプスのような存在です。すでに伝説です」

  スポーツでライバル関係にある選手やチームは、相手に勝ちたい、倒したいと思うあまり、ネガティブな関係を生むこともある。それがエスカレートすれば、相手の作戦を盗聴したり、相手選手の飲み物に違反薬物を入れることすらあるのがスポーツの世界だ。

©JMPA

  しかし体操の関係者や日本代表コーチなどから、「体操の文化はまったく違う」という話を聞いたことがある。それらに共通していたのは、このような内容だった。

「体操の世界では、より難度の高い技、よりレベルの高いパフォーマンスを追求することが第一。勝ち負けはそのあとに来るもので、そもそも自分のレベルを高めなければ勝負にもならない。そういうスタンスだから、自分よりすごいことができる選手には素直に『すごい』という気持ちが湧いてくるんです。相手選手がどれだけ努力したかも想像できる。それは海外の選手も同じ」

©JMPA

  パリ五輪に限らず東京五輪の男子体操団体でも、大きな話題にはならなかったが、目の前のライバル選手の演技に拍手する選手たちは大勢いた。

 体操に限らずスケートボードやスポーツクライミングなどでも、試合を終えて互いを称賛する競技は増えているように感じる。

  どの競技も、勝敗よりも自分のパフォーマンスを高めることが最優先される競技だ。むろん対人競技でもそうした姿勢を持つ選手はいるが、競技の性質もまた、互いを称え合う姿勢を生み出しているのではないか。