術後は頭に管が刺さったりしていて。「ああ、俺は病人なんだな……」みたいな感覚でしたね。その後、小学校6年生のときに、放射線で病巣を切り取るガンマナイフ治療というものを経験しました。この治療の後遺症で今も続いている、ものが二重に見える症状が発現したんです。

「次も手術がある」「え? これで終わりじゃなかったの?」

――当時、どれくらいの回数、手術を受ければよいのかは知らされていたのでしょうか。

古川 いえ、そういうわけではありませんでした。ものが二重に見え始めたのは小学生の頃だったんですが、根治はできていなくて、中学生になってからは京都府の大学病院に入院しました。それから数回の手術を経験しましたね。丸一日かかる手術もありました。

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――終わりが見えないなかで手術を受け続けるということですよね。

古川 はい。それは本当にキツかったですね。「次も手術がある」と言われたときの絶望感は忘れられません。「え? これで終わりじゃなかったの?」という、感覚はよく覚えています。

 中学生の途中からは入院生活が長くなってきて、病院にある院内学級に通うことになったんですけど、その部屋には同じ病院で亡くなった子どもの写真も飾ってあって。気持ちが沈んでもいました。自分のことを健常者だと思いたくて、家族に「俺は健常者だろ?」と詰め寄ったこともあります。

 

――精神的に荒んでしまうといいますか。

古川 家中の壁を殴って穴だらけにしてしまったり、自暴自棄になったこともありましたね。祖父が経営していた会社のビルから飛び降りようとしたり、リストカットをしたり……。「道を走っている車に飛び込んだほうが楽かな?」と思ったこともありました。

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 度重なる手術、それでも快復に至らない絶望。人生のどん底を経験し、希死念慮に支配されることもあった古川氏だったが、現在、彼は若手俳優としてキャリアを歩みはじめた。役者を志すにあたって、一体何がきっかけになったのだろうか。