「小学校のときは明るい元気な子。うちの子供とも遊び仲間でした」

 埼玉県さいたま市緑区(旧・浦和市)に、青葉が両親と兄、妹の5人で住んでいた木造アパートはあった。古びた外観に、錆びついた手すり。近所には新築一戸建てもあるせいか、どこか異様に見える。生まれたばかりのおよそ40年前、彼はここに住んでいた。

 家族は青葉が小学校卒業の頃までこのアパートで過ごし、その後、同じ緑区内のアパートに引っ越した。生家よろしく古びた、一家が暮らすには手狭な住まいである。郵便受けには溢れんばかりの郵便物がねじ込まれていた。念のためインターホンを鳴らしてみたが、応答はない。

 周囲を取材して回ると、まず青葉と同級生の息子を持つ主婦に話を聞くことができた。彼女は、天真爛漫な笑顔に心引かれる、青葉が小学生時代の写真を見せてくれた。「(大阪拘置所に収監される)ストレッチャーに乗ってるときの、あのギラってした目。あまりにもこの写真とかけ離れてる。だから同一人物とは思えません。この顔見ると、別の世界の出来事が起きちゃったみたいでね、いろんなことが起きすぎちゃったね。なんて人生なの……」

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 主婦は幼い頃の青葉をよく覚えていた。

「小学校のときは明るい元気な子。うちの子供とも遊び仲間でした。親として、最初の子供に友達ができるってすごく嬉しいじゃないですか。近所に遊ぶ子もいなかったから、それですごく嬉しくて。ここの小学校は学区が細長いんですよね。うちは南のいちばん外れで、長男がまだ友達があんまりできていなかったときで、この端っこの学区まで見たことのない子が遊びに来たので、すごく印象に残っていたんです」

 主婦は続けて苦悩を語る。

「長い間にいろんなことがあったんだね。事件を起こす前までは同情の余地があるけど、あの事件を起こしたら、全く同情の余地はないよね。そういう環境でも、あんな事件を起こさない人はいっぱいいる。そうでしょ。そういうふうに生きてきたんだよ、みんな。どんな苦しいことがあったって。変な言い方だけど、自分で死んでしまったほうが。逆恨みみたいなことはしちゃいけないよね」

 主婦が言う“そういう環境”とは青葉の複雑な家庭環境である。付近で暮らす、青葉の父親を知る元食料品店経営者は言う。