「親父さんとは何回か会ったことあるけど、普通の人だよ。別に印象も何もねえよ、単に普通の人。仕事はタクシーの運転手。羽振りは良かったよ。結構、稼いでたみたいで」

 日を置いて、父親の地元・茨城県常総市を取材すると、彼の奔放な性格が見えてきた。

「あそこに父親の実家があったんだよ」

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 大きな田畑の中に建てられたアパートを指差し教えてくれたのは、青葉家と縁戚にあたる初老の男性だ。

「青葉の親父が家を出て、奥さんと6人の子供はそこに暮らしていたんだけど、なんか勝手に土地を売っちゃったみたいでね。急に立ち退きさせられてこの地からいなくなりましたよ。それから見てないですね。もう40年近く」

 青葉の父親は青葉の実母と結婚する前、前妻との間にできた6人の子供がいた。農業を営む傍ら、幼稚園のバス運転手もしていたらしいが、生活に困窮していたことは容易に想像できる。

両親は不倫の末に駆け落ち

 取材を進めるうち、青葉の実母は、父親とは子供を通じて知り合った幼稚園の教諭で、不倫の末に駆け落ちしたことがわかった。2人はほどなく結婚し、やがて青葉を含めた3人の子供が誕生。家族5人で件の古びたアパートで暮らすようになる。

 前妻との間に生まれた兄弟の1人にも話を聞くことができた。

「事件が起きて、義理の弟が起こした事件と言われても何もピンとこなかったです。自分は父親の記憶もないし、父親が生きているのか死んでいるのかも知らない。関係ないというのが感想です。そうやってずっと生きてきましたから。兄弟で父親の話をすることもないです」

 母が女手一つで6人を育てるのは相当に無理があったようで、養子に出された兄弟もいたという。果たして父親は、前妻や前妻の子に対し、支援の類はもちろん、会いに行くことすらなかったそうだ。

 青葉が、さいたま市緑区内の2軒目のアパートで暮らしていたとき、両親は離婚。実母と長男、青葉と父親と妹に分かれ、それぞれ別々で暮らしはじめる。やがて青葉は、さいたま市内の中学に入学。当時まだ天真爛漫だった彼に変化が起きたのは1991年のことだ。

「親父さんが事故やっちゃってから、収入がなくなったんだよね」

(文中敬称略)