「その仕事ぶりとかを見ている限りでは、素直ないい大人になっていくのではないかなと」。少年時代はアルバイト先で周囲にそんな印象を持たれていた、京都アニメーション放火殺人事件犯人の青葉真司被告(46)。のちに戦後最悪の殺人事件を犯す彼はどんな人生を歩んだのか? 彼のターニングポイントとなる「ある事件」を、ノンフィクションライターの高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「日影のこえ」による重版もした新刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

爆発火災があった京アニのスタジオ(写真:時事通信)

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事故で父親は会社をクビに

「親父さんが事故やっちゃってから、収入がなくなったんだよね」

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 近所で暮らす初老の男性が言うには、タクシーの運転手をしていた父親が勤務中に人身事故を起こし大けがを負ったそうだ。

「事故が原因で会社をクビになって、一時フラフラしていたみたいね。私が印象に残っているのは、よく親子喧嘩をしてましたよ。うちのほうまで聞こえる大声で怒鳴り合うような」

 収入が途絶え、生活は荒れた。親子間での衝突も絶えない。こうした家庭環境は青葉の学校生活にも影響を及ぼす。

「別に挨拶をするわけでもないし、ただ黙って暗かったよ。暗かった」

「明るいことはないね。いつも下向いてね。そうかといって遊びに出るわけじゃないし、友達だっていなかったんじゃないかな」

 中学の同級生たちから語られたのは、学校での孤立である。青葉の心はこの頃から殺伐としていく。ところが、中学を卒業して埼玉県内の定時制高校に通いはじめると、埼玉県庁での文書集配アルバイト仲間の、同じ高校の同級生2人と仲良くするなど、一見、平穏な日々を取り戻す。

中学時代の青葉容疑者(卒業アルバムより)

 職場の上司は語る。

「とても真面目な好青年で、トラブルは全然なかったですし、職場でも仲良く働いていました。その仕事ぶりとかを見ている限りでは、素直ないい大人になっていくのではないかなと」

 “真面目な好青年”になった青葉が、上司の見立てどおりの人生を歩んでいれば問題はなかったのかもしれないが……。

凶行の日

 凶行の日は、出所から3年半が過ぎた2019年7月18日のことだった。数週間前には、事件現場に持ち込まれた包丁6本をさいたま市内の量販店で、前日午前にはホームセンターでガソリン携行缶や台車を購入し犯行に及ぶ。ガソリンを撒き、ライターで火をつけ、京都アニメーションの第1スタジオは炎の海と化した。

 青葉は自身の衣服にも引火した状態で逃走したが、現場から南へ100メートル離れた路上で火災被害から逃れた2人の男性社員に取り押さえられる。ほどなく駆けつけた京都府伏見警察署員が身柄を確保し、病院へと搬送。危篤状態にありながらも奇跡的に快方に向かったことで2020年5月27日、殺人・殺人未遂・現住建造物等放火・建造物侵入・銃刀法違反で逮捕となった。建物は全焼。死亡者36人。負傷者35人。殺人事件では戦後最多の死者数を出しながら、奇しくも当の青葉だけは生き残っている。