こうして進んだ裁判員裁判や加熱する報道の中で、私の知らない青葉の半生も明らかになった。「誰にも頼らず一人で生きていこうと決めていました」と公判で語った青葉は、実父の自死をきっかけに埼玉県春日部市内で一人暮らしを始めた。コンビニのアルバイトで食いつないでいたが、人間関係に疲れて無職になり、自宅の電気やガス、水道まで止められるほど生活に困窮。ついには女性の下着を盗んで逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受ける。

 その後は派遣の仕事をしていたが長続きせず、2008年末、雇用促進住宅に移り住んでいた。雇用促進住宅の管理人は、メディアから「緊急入居なんですね?」と尋ねられ、次のように話している。

「そうですね、このときはホームレスだったので」(2024年1月24日放送、関西テレビNEWS)

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「自分の小説のアイデアが盗まれている」

 この話から当時、青葉が絶望的な状況に陥っていたものと想像される。そんななか、京都アニメーションの作品『涼宮ハルヒの憂鬱』に出会い、感銘を受ける。そこから事件を起こすまでの道のりは、小説家になって社会に一矢を報いることだけを心の支えにしていたのだろう。そして、ついに作品を完成させた青葉は、京アニのコンクール「京都アニメーション大賞」にタイトル『ナカノトモミの事件簿』『リアリスティックウエポン』の小説2作を応募する。が、結果は落選。

「自分の小説のアイデアが盗まれている」

 ひるがえって突きつけられたのは、青葉からすれば「盗作」の腹立たしい現実だった。

 自分は落選によって望みが絶たれたのに、盗作された事実は、誰もわかってくれない。

 屈折した感情と言わざるを得ないが、唯一の道が経たれ極度に神経を尖らせながら京アニ作品を見ていた青葉は、最終的に敵の牙城を崩さねばと考えるようになっていく。

「どうしても許せなかったのが京アニだった気がします。パクったりをやめさせるには、スタジオ一帯を潰すくらいのことをしないと、という考えはありました」(公判の証言より)

 裁判では、本書の親本である『日影のこえ』の記述の誤りも明らかになった。

〈父親の死から5年後の2004年、事もあろうに妹までもが自ら命を絶っていた〉

〈実は青葉の兄も自殺しているんです。5人家族のうち父、兄、妹が自死を選び、母親は離婚後に別家庭を持ったため疎遠に。そのことをどうしても伝えたかったのです〉

 私は、裁判が始まる前に青葉の周辺を取材し、このように書いた。十分な裏付けのもとに青葉の兄と妹の死を伝えたつもりでいた。しかし、実際には2人は生きているという。ここに深くお詫びし、訂正したい。

 2024年1月25日、判決公判で京都地裁の裁判長は青葉にこう述べた。

「被告は、孤立して生活が困窮していく状況の中で京都アニメーションが小説を落選させたうえにアイデアの盗用を続けて利益を得ていると考え、恨みを強めた。そして、放火殺人までしないと盗用が終わらないなどと考え、本件犯行を決意し、京都に行くことを決めた。

(中略)事件の直前、実行するかどうか何度もしゅん巡したが、どうしても許すことはできないなどと考え、バケツ内のガソリンをかなりの勢いで従業員の体や周辺に浴びせかけ『死ね』とどなりながら火をつけて36人を殺害した。