事件から4年――初公判の日

 事件から約4年が経った2023年9月5日、京都地方裁判所で初公判が開かれた。

 警備を理由に法廷の訴訟関係者と傍聴席の間に透明のアクリル板が設置され、被害者や遺族も見守るなか裁判が始まったのは午前10時半過ぎのこと。そこに車椅子に乗り上下青のジャージにマスク姿で髪を丸刈りした青葉が現れる。

判決に臨む青葉被告(写真:時事通信)

 冒頭、裁判長が起訴された内容に間違いかないかどうか尋ねると、青葉は視線を逸らず答えた。

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「間違いありません。当時はこうするしかないと思っていた。こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、やりすぎだった」

「当時はこうするしかないと思っていた」という言葉から鮮明に思い出すのは、京都第一赤十字病院へ搬送される前、タンカーに横たわったままカメラの方向をギロリと睨む青葉の姿を捉えた1枚の写真だ。

 このとき青葉は全身の93%にやけどを負い瀕死の状態だったとされる。皮下組織まで傷害が及んでいたことで、神経や血管も火傷でやられていたと予想されるため、痛みの感覚もなかったに違いない。血の通いがないかのように皮膚が白色の反面、眼光鋭き青葉の姿は、膨れ上がる京アニへの憎しみを描き出していたと言っていい。

 青葉は起訴内容を「間違いありません」と認めた。一方で、「こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、やりすぎだった」と、意図した放火殺人ではないかのように続けている。

 この状況は、いかにもいびつである。

 果たして、このまま罪を全面的に受け入れるのか、それとも情状をもとに争うつもりなのか。

 青葉の弁護人は「良いことと悪いことを区別して犯行をとどまる責任能力がなかった」と、問題の根っ子は別にあるとして、精神障害を理由に今後の裁判の展開が無罪にかじを切るよう議論を仕かけていった。

 検察官は「被告には完全責任能力があった」理由として、京アニのアニメに感銘を受けて小説家を志し、自らの小説を京アニに応募したが落選し、アイデアを盗まれたという妄想を募らせていった。事件の1ヶ月前に、投げやり感や怒りを強め、埼玉県の大宮駅前に行き無差別殺人を起こそうとしたが断念した。その後、人生がうまくいかないのは京アニのせいだと考えて筋違いの恨みによる復讐を決意したことに言及した。

 対し、弁護側は、青葉の不遇な半生を下敷きに「人生をもてあそぶ闇の人物への対抗手段、反撃だった」と語り、責任を問えるかどうかと反論する。青葉の公判は、責任能力の有無や程度について集中的に審理が行われることになった。