発災半年が経った能登半島に行ってきた。今回で4度目の取材や。
しかし、何というありさまや。いまだ輪島、珠洲市の沿岸部は瓦礫がうず高く積もったまま、元日から時計が止まったよう……ではないわ。もっと悪化しとるやないか。
津波に流され、灰塵と雪に覆われゴーストタウンと化していた被災地は瓦礫を苗床に増殖しつづける怪しげな草木に侵食されつつあり、ひまわりもどきや朝顔もどきの毒々しい色と臭いを放つ花々が咲き乱れ、まるであの宮崎駿が地球の近未来を描いたとされる「風の谷のナウシカ」にでてきた「腐海」やないけ。
確かに瓦礫一時保管場所では何十台もの重機やトラックがうなりを上げ、復興の槌音とも聞こえんことはない。せやけど輪島や珠洲市の被災地じゃ油圧シャベルもろくに稼働してなかったで。第一震災発生直後は殺人的ともいえたあの大渋滞がいまはほとんどない。そりゃあ穴水町でも一部宿は再開したわ、春には輪島方向までの一方通行やった「のと里山海道」は7月になって対面通行ながら両方向再開したわ。
それでも土日でもない平日の夕方に輪島や珠洲市から渋滞のストレスなしに河北や七尾市の宿まで2時間かからず帰れるのである。どう見ても人も車も機械も少ないんちゃうか。
公費で倒壊家屋の解体を任される業者もボランティアと同じように安う使うてないか? 自衛隊を便利屋と思うとるんちゃうか? ワシの耳にまでいろんな業者から赤字にしかならない復興支援作業に対する悲鳴と、そんな地元自治体や日本政府に対する恨み節が聞こえてきとるど。
現に半年経っても停電もいまだ完全復旧ならず、断水は珠洲市ではいまだ続き、3カ所にも及ぶ自衛隊の入浴支援活動は東日本大震災時の支援活動期間よりも長期に渡り、現在も被災住民に頼られている。