不肖・宮嶋、今年元日後3度目の能登半島取材中である。能登の春はまだ遠い。
桜の開花も都内より1週間以上遅れる。それでも桜が能登の復旧復興を祝ってくれるならと、3度も足を運んできたのである。
住民をあざ笑うかのような悪党どもが現れた
能登にはいまだ避難所で不便な生活を続ける6672人がいる。自衛隊の生活支援を頼りに、ボランティアの助けを待つお年寄りが途方に暮れているのである。
不安はそれだけやない。いまだ堆く積もった瓦礫に埋もれた我が家には行方不明者こそいなくなったが、ご先祖様の位牌や仏壇が埋もれたままである。押入れの奥の金庫に入っている現金や土地の権利書や有価証券などがいまだとりだせないのである。元旦の夕方からずうっと。金目のもんだけちゃうで。記念写真やアルバム、卒業証書に家族や友人との思い出の詰まった記念品もである。
悲しいかな、そんな困った住民をあざ笑うかのような悪党どもも被災地には現れる。正月三が日が明けるや自称ボランティアを名乗る学生や外国人窃盗団が捕まったり、1メートル単位数千円でブルーシートを売りつける訪問販売(押し売り)もやってきた。さらに自販機荒らしが現れたという情報まで避難所で流れたものの、これは後に所有者の許可を得て、被災者に飲料水を分け与えるためと判明した。だが、これも通信網が寸断され情報不足に陥っていた住民が疑心暗鬼になってしまい、自販機荒らしに見えてしもうたのであろう。
だから皆、不便と知りながら、2次避難所に向かわず、自宅近くの避難所での生活を続けながら毎日我が家を見に行き、いつくるかも知れぬボランティアの若い衆を待ちながら、途方に暮れるしかないのである。
不肖・宮嶋も倒壊したままの被害激しき通りで住民や建物の所有者から誰何されることも度々である。そして「我が家」や倒壊した建造物の写真を発表しないよう願われる。この写真が空き巣を誘い込むかもしれんという理由からである。もちろんそれらの写真は今回も公開されていない。
今、被災地に求められるボランティアとは?
我らカメラマンが被災地ではただ邪魔な存在だと充分自覚しているつもりやが、頼みのボランティアの多くもいまだ半島先端の輪島や珠洲からは遠い金沢市から通っているのは前回もお知らせしたとおりである。